玉彦のブログ

自分で考えて行動したい

Yahooトップニュース「国民に説明 首相に具体性なく」… 洗脳されている人は洗脳されていることに気づけない

headlines.yahoo.co.jp

 ▼日々、時間に追われて生活している多くの国民は、この見出しを一目見て「ああ、そうだったんだ」と思うだろう。ほんの小さな13文字の見出しだが、どれだけの人の目に触れるかを考えれば、その莫大な影響力は計り知れない。

 この見出しが、私にはどうしても納得できない。見過ごすことができなかった。

▼今日も夜遅くの帰宅。安倍総理の会見が本当に具体性を欠いていたのか、最初から最後までチェックする時間なんて私にもない。

 ただ、具体性なんてのは記者の主観じゃないか。人によっては「十分具体的だった」と受け取るかもしれないし、「端的に、国民にわかりやすい言葉で伝えていた」と視点が180度異なる感想もあるだろう。

▼特定の読者の欲求を刺激するような雑誌や機関紙なら許せる。だが、これだけ公にされる記事はできる限り客観的・中立的であるべきだし、実際に朝日新聞は綱領で公正を掲げている。会見で何が話されたのか、その事実だけを示すべきではないか。意見があるなら社説として、あるいは主義主張している人物が示された記事として載せるべきだ。見出しで具体性がないと決めつける傲慢さに憤りを覚えると同時に、こんな見出しが堂々とトップニュースに置かれている光景に恐怖を感じる。

▼こうやって、さりげなく巧妙に国民を誘導する卑劣な新聞報道・テレビ放送が、見るに堪えないほどに溢れかえっている。それも、ニュースだけではなく広告・バラエティ・ドラマなど隅々に至るまで。あまりにもそれ一色に染まっているもんだから、それが国民の「常識」になりつつある。

▼私は家族の一人であり、職場の一人でもある。だがそれ以前に、今は、国民の一人としての自覚を確かにする必要を痛切に感じている。多くの国民が、洗脳によって、その自覚を抜き取られてしまっているように見えてならない。もう既に、重大な危機は人々の目に見えない形で、日本を加速度的に侵食してきている。

▼国境のない世界に平和はない。

 それぞれの国が、自分の国に誇りをもち、自主独立の精神をもち、世界のためにそれぞれの役割を果たしてこそ平和があると私は考えている。

 今こそ、日本国民は日本を守らなければならない。

▼このように愛国心を語る人間が変わり者の世の中ならば、私は変わり者のままでいい。

 人知れず、私なりに、私なりの方法で抗い続けて死ねればそれで本望と思っている。

ブログを書き続けるために必要なこととは。

▼どうも、お久しぶりです。

 と言っても、2ヶ月も放置しておいて、こんな拙ブログを訪れてくださる人がおられるかわかりませんが…。

▼年度末からこのGWにかけて、職場環境も変わり怒涛の忙しさで。

 正直、今も時間的余裕はほとんどない状況です。

▼そもそも、ブログを書く理由とは何か。

 人それぞれ理由はあるでしょうが、結局は、当たり前のことですが、書いている本人が何らかの楽しさを感じているからでしょう。

 ただいずれ、遅かれ早かれ誰もが、その心境に変化が訪れる時を迎えるのだと思います。

 本人が「飽きた」。あるいは読者に「飽きられた」。

 あるいはプライベートが「忙しくなった」とか。

 要は「自分の満足」を求める限り、いつか必ず、やめることを考えなければならなくなる時を迎えるのだと思うのです。

▼ブログが収入源だったり、仕事やサークル活動の一環である人であれば、迷いなく続けられるでしょう。

 でも、そうでない人たちが続けているとしたら、その理由は何か。

 それは、自分ではなく「読者のために書くこと」にやり甲斐を感じているからではないでしょうか。

▼もちろん、存分に自分の楽しみを追求して、ブログを「卒業」して、新たなことにチャレンジする人も素晴らしいと思います。

 ただ、長年に渡り、地道に着実に「自分の文章」を書き続けている人たちに対して、私は尊敬の念を抱きます。

 そのブログには、確かに読者の心に訴えかけてくる「何か」があります。

待機児童問題。そもそも保育園、共働きありきの議論に疑問。

▼待機児童問題で、お母様方が悲鳴をあげている様子が連日報道されています。私がこのニュースを見ていつも思うのは、「じゃあ保育園を充実させましょう」という単純な議論だけでいいのかということです。

▼女性の社会進出と言われますが、それは望んでのことなのでしょうか、それとも止むを得ずなのでしょうか。正確なところはわかりませんが、経済的理由から後者である女性も少なくないのではないでしょうか。であるならば、子育てに専念したい女性はそうできるように「日本の経済を良くするにはどうすればよいのか」という根本的な議論が必要です。

 ところが日頃ニュースを見ていて、その当たり前の議論が全然なされていない。というか、されていても、コメンテーターの話はいつもわかりにくい専門用語ばかりで曖昧なまま。なぜ日本の景気が良くならないのか、肝心要のことが見えない。

▼例えば平成26年の消費増税を境に、日本のGDPは一気に急落。揃って増税論を唱えていたテレビ・新聞・評論家は忘れたかのように知らん顔です。

 もうずっと前から「デフレだ」「不景気だ」とか言われながら、メディアはその理由を、解決法を国民に知らせません。なぜならメディアは、国の経済よりも、己の経済の方が大事な権力者に支配されているから。経済を知らない国民を操る格好の道具になってしまっています。

▼私は、働きたい女性は働けるようにすると同時に、子育てに専念したい女性は子育てに専念できるようにするべきと考えます。特に乳幼児にとっては、保育士よりも母親とのスキンシップが何よりも大切ではないでしょうか。

 乳幼児たちはきっと、何もわかっていないようでいて、実は恐ろしいほどに、周囲からの刺激に敏感になっている。他の誰でもないお母さんの温もりこそが一番必要だと思うのです。

「自然分娩の方が愛着」発言の教諭が謝罪したことの是非

▼ここまで大事になることなのか?というのが私の率直な感想です。あまり度が過ぎると学校の先生が萎縮してしまい、教科書に書いてあること以外は発言できなくなるのではないでしょうか?

▼確かに私もこの発言について根拠に乏しいとは思います。帝王切開を否定するかのように受け取られる発言でもあると思います。しかし、あくまで授業の一コマでこの先生なりの「説」が示されただけであって、日常的に押し付けているわけではないでしょう。

 先生の言うことを生徒が全て鵜呑みにしてしまう状況だとしたら、それこそが深刻な問題です。生徒一人一人が、いろんな情報を得た上で自分の頭で考えることこそが大切ではないでしょうか。幼稚園ならいざ知らず、小学5年生なのですから。

▼親は「先生はそういう考えだが、私はこういう考えだ」と子供に教えればそれでいいのではないですか。何よりメディアが、大々的にyahooトップにまで取り上げ、先生の一つの「説」を封殺することこそ問題だと思います。

▼もっと他に、それこそ日常的に、偏った考えを生徒に植え付けている先生がたくさんいるではないですか。そちらの方こそ問題視するべきです。

「日常のテレビ」の恐怖

▼私は自宅にテレビを置いていないのだが、職場で一人夜勤の合間、ふとリモコンを手に取りぼんやりと眺める。もはやネットで必要な情報はほとんど得られるのだが、テレビに流れる「時代の空気」も感じ取っておかなければならないと思うからだ。

▼ある日の深夜、「日常的な」番組の光景が、私の目にはことごとく異様に、不気味に映った。チャンネルを回せど回せど、何気ない日常の裏に潜む邪悪な闇が見えて、恐怖を覚えた。

 何を気の触れたようなことを、と思われるだろう。だがこの恐怖は今に始まったことではない。ずっと前からあったのだが、最近はその恐怖がみるみるうちに拡大し、日常のテレビに侵食しているのを感じる。

▼平和である。見た目では。

 でもこの「平和」が近いうちに、本当に近いうちにあっという間に崩れ去る危機が迫っている。

 人類の歴史を振り返って、この先この「平和」がずっと続く保障がどこにあるだろうか。

▼テレビが日常の人たちから見れば、私のような人は異常であろう。懸命に説明しても複雑な顔をされてしまうだろうから、多くを語れないでいる。

 人の思考と行動は、他人から言われてもなかなか変わらない。一人一人が「自分自身で」変わる必要を感じて初めて変わる。

▼私はテレビの恐怖にどう立ち向かうか。

 テレビ局や、テレビが日常の人に訴えることも必要だろう。

 だがその前に、まずは私が「自分自身で」思考し、行動できるようにならなければならない。