かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

青山繁晴さんに対する、週刊文春の誹謗中傷記事について。商売よりも報道をしているメディアを見極めたい。

shiaoyama.com

▼以前、当ブログにて週刊文春のスクープを称賛してしまっていた手前、この件に触れない訳にはいきません。

 本件の顛末については、上記リンク先で、青山さんが包み隠さずありのままに記述されています。これまでの青山さんを知る人間からしてみれば、説明を受けるまでもなく文春の記事が全くのでたらめであることはすぐにわかります。客観的に見ても、確たる証拠もないことを疑惑としてでっち上げ、派手な見出しにして人の目に触れさせ、悪印象を与えようという卑しい魂胆が見え見えです。極めて悪質かつ卑劣な選挙妨害であり、断罪されるべき事件であると考えます。

▼残念ながら週刊文春といえども、報道より商売ということでしょうか。これまでの衝撃的なスクープの数々がメディアに新しい風をもたらしたことは確かですが、この件については看過できません。しかしこれもまた、週刊文春を批判するだけでは結局変わらない。我々消費者側が、商売ではなく真の報道を志しているメディアがどこであるのかを常に考え、見極めなければなりません。

▼私自身も省みるに、華々しい著名人の暗部を次々と暴き凋落させていく文春の豪快さに一種の高揚感を覚え、舞い上がっていた部分があったように思います。常に真実を冷静に見つめる視点を失うべからずと、反省している次第です。

青山繁晴さんが参議院選挙で当選。国士が公人となり、ますます国民の真価が問われる。

▼当ブログにて応援をしていた青山繁晴さんが、参議院選挙に当選しました。

 どんな組織にも属さず、団体からの支援も受けず、個人からも1円の献金も受け取らず。政治はボランティアであるとして、1期しかやらないことを宣言。命もいらない、お金もいらない、地位もいらない、当選しなければそれでいい。これまでの政治のあり方を、根底から問い直したい…。それは、今まで誰も見たことのなかった、まったく新しい選挙でした。

 私利私欲を脱した魂の声が、なんの利害関係もない国民一人ひとりの胸にまっすぐに届き、深い共感が広がり、見事当選となりました。

▼難しいことじゃない。むしろ、子供の心で素直に考えればわかるような当たり前のことが、忘れ去られているのです。青山さんは、政治がどんなに「大人の思考」で染まろうと、根っこが絶対に揺るがない。常にまっすぐ真ん中から、物事の本質を見ている。そして、ただ相手を論破するのではなく、一緒に考えることを大切にしている。だから、みんなの心を動かすのではないでしょうか。

▼青山さんの当選は、間違いなく、日本の政治に明るい希望の光をもたらすことでしょう。しかし、手放しでは喜べません。これからが本番です。青山さんが進出すればするほど、旧態依然とした利権を守ろうとする圧倒的多数の団体から、ありとあらゆる激しい抵抗、妨害を受けることは必至です。

▼青山さんが公人となり、これからますます、私たち国民一人ひとりの真価が問われることになると思います。青山さんが当選しても、私たちが「政治家にお任せ」のままでは結局は変わらない。国民一人ひとりが、偽りの情報に騙されることなく、自分の頭で考えるということを続けなければいけません。

▼日本をより良い国にしていくためには、どうすれば良いのか? 私はこれからも、考え続けたいと思います。それによって、青山さんが示してくれたような新しい政治に寄与できるのならば、とても素敵なことだと思います。

自分と考えが違う人とこそ向き合いたい。

▼最近、ある人との関係について思い悩んでいることがあり、「人との関わり方」そのものについて、改めて考えています。まさかこの歳になって、こんな基本的なことで心が揺らぐことになろうとは。

▼私はこれまで、「考えが違う人とはなるべく関わりを避けた方がいい」と考えて生きてきました。世の中にはいろんな考えの人がいて、相容れない部分があるのだから、なるべく干渉し合わない方が楽で、お互いのためであると。

 しかし、生きている限り、どんなに親密な相手とだって考えの違いは現れ、対立することも出てくる。

 大事なことは、違いを見つめて、人同士が「和」に向かえる方法を考え、行動していくこと。

 この途方もない営みは、忌避するようなものではなく、むしろ素敵なことのように思えてきました。

ブログを書いて、ふと、己の言葉の非力を思う。

▼青山さんの投稿をした直後から、驚くほどたくさんのアクセスがあり、今まで書いてきた記事が吹き飛んでしまったかのようだ。自分はこの投稿をするためにブログを続けてきたのではないか? そんな気すらした。

▼素直に嬉しかったのだが、一方でふと、己の言葉の非力を思った。いったい私の文章は、アクセスしてくださった人の心をどれだけ動かすことができたのだろう?

 多くの人の心を、少しだけ動かせただろうか。

 それとも一人であっても、意味のある何かを与えることができただろうか。

 インターネットの向こう側の人たちの心の中は、わかりようがない。相手と顔を合わせて、目を見て言葉を交わして初めて、わかるかもしれないというぐらいなのだから。

▼それにアクセスが集まったとは言っても、所詮、日本の有権者の数を考えればほんのわずかな、微々たる数でしかない。湖に向かって小石を投げた程度の波しか起こしていない。今の私では、尊敬する人の力になりたくて言葉を尽くしても、この程度なのだ。

▼実生活においてすら、私の吐く言葉はどれだけ相手に伝わっているか。そもそも私は、どれだけ伝えようとしているだろうか。

 話すことができない自分を、嘆くばかり。

 このままではいけない。何かが足りない。

 人の心に届く言葉を探し続けたい。

比例代表で誰に投票すればいいかわからないという人へ。青山繁晴さんと一緒に日本を考えませんか。

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▼私は小さい頃、親から「政治家にだけはなるな」と言われました。理由は、みなさんの想像とほとんど相違ないことでしょう。だってニュースを見ていて、政治って、政治家って、嫌なものだなあと感じるのが普通ですものね。

 そして「世の中にはいろんな考えの人がいるから、政治に関わる話はなるべくしないように」とも教わりました。

 私はそれを聞いた時、親が真剣に自分のことを思って言ってくれているのを感じていました。一人ひとりがそれぞれの立場で胸に秘めている、大事な、デリケートな問題。それを日常の会話に持ち出したら、微妙な空気になるだろうなとは想像できていました。

▼しかし、どうも釈然としない感じが胸に残ったのでした。

 確かに、尊敬する親がそう言ってくれるのだから、その通りなんだろう。それが大人の世界の現実なのだろう。でも本当にそうだとして、みんながあきらめたら、政治は悪いものになっていく一方じゃないか。誰か、我慢して、政治を良いものにしようとする人がいないと。普通の一般の人は、そういう人が現れた時、ちゃんと選んで応援しようという気持ちがないといけないんじゃないか。

▼親がいない時、テレビで国会中継をやっていると、興味津々に見入っていました。もちろん内容はほとんどわかりません。でも、一体どうしていつも、対立して言い争いになってしまっているのだろう。時間をかけて一つ一つ突き詰めていけば、答えに辿り着けそうなものなのに、いつまでたっても理解し合えない。見ていて、それが本当に不思議で、もどかしくも感じていました。

▼実はその疑問は、大人になってからもなかなか晴れませんでした。

 「正しいこと」とは何なのだろう。

 本当に正しいことを言っているのは誰なんだろう。

 いろんな本を読んだりして、考えて、考えて、考えました。

 そしてそんな時に、インターネットで青山さんと出会いました。

▼私は今も、考えています。

 ただ、一つだけ確かだと思うのは、青山さんがいつもいつもみんなに向かって呼びかけている、この合言葉。

 「一緒に考えましょう」

 世の中には、いろんな考え、いろんな立場の人がいます。

 みんな違って、いろんな意見があっていい。だから、時には対立するのも当然なのです。

 ただ、「一緒に日本を考える」ということなら、日本人同士として、最後は同じ方向にむかえるはずではないでしょうか。

 

 「ぼくらの日本をひとつに」

 青山さんは、いま国難であるとしっかり捉え直すことが、再出発ではないかと呼びかけています。

 ずっとずっと分断し、対立してばかりだった日本の政治を、ひとつにしようとしています。

 その「ひとつ」の意味は、みんなが同じ意見をもつという意味ではないのです。 

▼私たちと一緒にこの国土に住んでいた日本人が…お父さんお母さんと一緒に暮らしていた女の子が、すぐ近くの北朝鮮にさらわれてしまった。それなのに、国としてずっと手をこまねいていることしかできない。

 北方領土も、竹島も、小笠原諸島も、尖閣諸島も、国として抵抗できずに、いつの間にか侵されてしまっている。

 こんな「国」のままでいるのは、やっぱりおかしいんじゃないか。

 それにとどまらない。今、ありとあらゆる問題が議論される中で、何のための政治なのかが忘れられてしまっている。

 みんなの共通の土台が、共通の軸が見失われてしまっている。

▼私の言うことを信じてくださいとは言いません。

 青山繁晴さんと一緒に、みんなで日本を考えませんか。

 お互いに一致する部分を認め合い、広げていける政治を作りませんか。