かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

天皇陛下が「生前退位」のご意向を示される。私が考える、日本国民にとっての天皇陛下のご存在とは。

▼まずこの一報を聞いたときに思ったことは、天皇陛下がこれまでの間、日本国民の幸せのために祈りを捧げてくださったことへの心からの感謝でした。そして、天皇陛下と共に生きた平成の時代が終わりを迎えることへの、言いようのない寂しさがありました。

▼日本国民にとっての天皇陛下のご存在とは何か。このあまりにも重い問題について語ることは畏れ多く憚られるのですが、語れないのは恥ずべきことであると感じました。ところが恥ずかしながら私は、学生時代に小林よしのりさんの著書である「天皇論」を読んだ以外に、天皇陛下についてほとんど学んだことがないのです。

 日本にとって最も崇高で尊いご存在であるはずなのに、一体なぜ? 考えてみれば学校でも、憲法で「日本国、日本国民統合の象徴」とされているということの他に、詳しく教わった記憶が私にはないのです。そして、敢えて不躾を承知でありのままに言ってしまえば、多くの人が、天皇陛下について、必ずしも学ばずとも生活していけるという認識になってしまっているのが、今の日本の現状ではないでしょうか。

▼不勉強を承知の上で私の考えを述べるならば、日本国民にとっての天皇陛下のご存在の意味というものは、理屈で語るよりも、まず日本人一人ひとりが感じ取るものだと思います。さらに、日本人であれば、誰もが自然に感じ取れるものだと思います。その上で、これからも万世一系の皇統を守り続けるため、学び、考えていかなければなりません。

▼私は、このブログを始めたころから最近まで、なるべくは政治や社会のテーマに触れたくないと考えていました。

tamahiko.hatenablog.jp

 しかし、いまの日本を知れば知るほど、重大な危機感が募る一方です。不気味な、巨大な黒い影が忍び寄り、人知れずゆっくりと、しかし確実に浸透し、広がろうとしているのを感じています。政治・社会を覆う影や、天皇陛下までをも語れなくしてしまう影…。日本人であれば皆で共有できる問題に対して、微力であってもできる限りの行動をしたい、そう考えるようになってきました。そのために、もっともっと勉強したい。そして、自分の信じるところを書き続け、訪れてくださる皆様と一緒に考えていければと思っています。

鳥越俊太郎さんが都知事選に立候補、出馬へ。政治に詳しくない人々が、正しい選択をするにはどうすればいいか。

鳥越俊太郎さんは都知事として適任であるか? 私は都民ではないのですが、もう今さら語るまでもない、その意欲すら失せてしまうというのが正直なところです。

 テレビ放送に甚だ質の低下を感じたこともあり、自宅にテレビを置かなくなって大分たちます。これまで鳥越さんがどんな発言をしてきているかはネットで垣間みてきた程度です。あまり関心が湧かず詳細まで覚えていないので具体的な論評はできませんし、私がこのブログで語るべきは他にあると思うのです。

▼多くの人々は、自身の生活のことで頭が一杯で、政治のことを勉強する余裕がない。そして私もその一人なのです。政治的な肩書きもステータスもない私が、こんな地味ブログで例えどんなに正論を訴えたとしても、ほとんど説得力を持ち得ないでしょう。多くの人にとっては、習慣的に目にするテレビで取り上げられる知名度や、政治に詳しい「はず」の出演者の発言が判断基準になる訳です。

 しかし、そのテレビの報道姿勢や出演者の発言に誤りがあれば、人々も判断を誤る。

 テレビが誘導したとしたら、当然人々も誘導されるのです。

 そのことを、一人ひとりが自覚しなければなりません。最終的には、マスコミの編集というフィルターを通さずに、候補者の姿を自分の目で見て、候補者の声を自分の耳で聞いて、自分の頭で考えるということをする以外にないでしょう。いつでも正しい判断ができる人なんていないはずです。大事なことは、常に自分を省み、考え続ける姿勢ではないでしょうか。

▼「政治に詳しくない人々が、正しい選択をするにはどうすればいいか」 それについての私の答えは「自分の頭で考える」です。今、みんなに呼びかけられるべきことは、「○○さんに投票しましょう」ということではなく、「一人ひとりが自分の頭で考えましょう」ということではないでしょうか。

▼今、インターネットという革命的なツールの普及により、人間と情報との関係は大転換の真っ只中にあります。一人ひとりが、いかにインターネットを活用できるかが問われています。

▼私は、ブログで特定の政治的思想を訴えることはなるべくしたくないのです。ただ、「みんなで考えましょう」ということを訴えたいと思って書いています。

 という訳で、私も鳥越さんの会見における立候補表明をネットで視聴してみたのですが、都知事の適性についての認識が変わることはありませんでした。しかし、これからもできる限り、一人ひとりの候補者、マスコミが嫌うような候補者にもしっかり目を向けるようにして、都民のみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

青山繁晴さんに対する、週刊文春の誹謗中傷記事について。商売よりも報道をしているメディアを見極めたい。

shiaoyama.com

▼以前、当ブログにて週刊文春のスクープを称賛してしまっていた手前、この件に触れない訳にはいきません。

 本件の顛末については、上記リンク先で、青山さんが包み隠さずありのままに記述されています。これまでの青山さんを知る人間からしてみれば、説明を受けるまでもなく文春の記事が全くのでたらめであることはすぐにわかります。客観的に見ても、確たる証拠もないことを疑惑としてでっち上げ、派手な見出しにして人の目に触れさせ、悪印象を与えようという卑しい魂胆が見え見えです。極めて悪質かつ卑劣な選挙妨害であり、断罪されるべき事件であると考えます。

▼残念ながら週刊文春といえども、報道より商売ということでしょうか。これまでの衝撃的なスクープの数々がメディアに新しい風をもたらしたことは確かですが、この件については看過できません。しかしこれもまた、週刊文春を批判するだけでは結局変わらない。我々消費者側が、商売ではなく真の報道を志しているメディアがどこであるのかを常に考え、見極めなければなりません。

▼私自身も省みるに、華々しい著名人の暗部を次々と暴き凋落させていく文春の豪快さに一種の高揚感を覚え、舞い上がっていた部分があったように思います。常に真実を冷静に見つめる視点を失うべからずと、反省している次第です。

青山繁晴さんが参議院選挙で当選。国士が公人となり、ますます国民の真価が問われる。

▼当ブログにて応援をしていた青山繁晴さんが、参議院選挙に当選しました。

 どんな組織にも属さず、団体からの支援も受けず、個人からも1円の献金も受け取らず。政治はボランティアであるとして、1期しかやらないことを宣言。命もいらない、お金もいらない、地位もいらない、当選しなければそれでいい。これまでの政治のあり方を、根底から問い直したい…。それは、今まで誰も見たことのなかった、まったく新しい選挙でした。

 私利私欲を脱した魂の声が、なんの利害関係もない国民一人ひとりの胸にまっすぐに届き、深い共感が広がり、見事当選となりました。

▼難しいことじゃない。むしろ、子供の心で素直に考えればわかるような当たり前のことが、忘れ去られているのです。青山さんは、政治がどんなに「大人の思考」で染まろうと、根っこが絶対に揺るがない。常にまっすぐ真ん中から、物事の本質を見ている。そして、ただ相手を論破するのではなく、一緒に考えることを大切にしている。だから、みんなの心を動かすのではないでしょうか。

▼青山さんの当選は、間違いなく、日本の政治に明るい希望の光をもたらすことでしょう。しかし、手放しでは喜べません。これからが本番です。青山さんが進出すればするほど、旧態依然とした利権を守ろうとする圧倒的多数の団体から、ありとあらゆる激しい抵抗、妨害を受けることは必至です。

▼青山さんが公人となり、これからますます、私たち国民一人ひとりの真価が問われることになると思います。青山さんが当選しても、私たちが「政治家にお任せ」のままでは結局は変わらない。国民一人ひとりが、偽りの情報に騙されることなく、自分の頭で考えるということを続けなければいけません。

▼日本をより良い国にしていくためには、どうすれば良いのか? 私はこれからも、考え続けたいと思います。それによって、青山さんが示してくれたような新しい政治に寄与できるのならば、とても素敵なことだと思います。

自分と考えが違う人とこそ向き合いたい。

▼最近、ある人との関係について思い悩んでいることがあり、「人との関わり方」そのものについて、改めて考えています。まさかこの歳になって、こんな基本的なことで心が揺らぐことになろうとは。

▼私はこれまで、「考えが違う人とはなるべく関わりを避けた方がいい」と考えて生きてきました。世の中にはいろんな考えの人がいて、相容れない部分があるのだから、なるべく干渉し合わない方が楽で、お互いのためであると。

 しかし、生きている限り、どんなに親密な相手とだって考えの違いは現れ、対立することも出てくる。

 大事なことは、違いを見つめて、人同士が「和」に向かえる方法を考え、行動していくこと。

 この途方もない営みは、忌避するようなものではなく、むしろ素敵なことのように思えてきました。