かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

流行語大賞トップ10に「保育園落ちた日本死ね」選考の愚

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                                       http://singo.jiyu.co.jp

▼毎年恒例の流行語大賞、今年は「神ってる」

 個人的には、全国的に幅広い年齢層に浸透した言葉として「ポケモンGO」が第一候補でした。しかしこの軽妙なフレーズで、多くの人が広島の勢いにあやかり明るい笑顔になることができました。これもまた良しかな、と思います。

▼しかし一方で、私がどうしても納得できない言葉がトップ10に選ばれていました。ここ最近、不自然な選考続きに疑問を感じる人も増えてきているのではないでしょうか。昨年も政治色が強すぎるという批判が上がったばかりですが、今年も選考委員の歪んだ価値観に基づいた、意図的な選考があったとしか思えません。

「保育園落ちた日本死ね…これ、周りで言っている人いましたか?

 保育園が足りていないことは確かに問題ですが、日本死ねという言い方には共感できないという人が圧倒的多数だったのではないでしょうか。「流行した」と感じる人などほとんどいないでしょう。

 このブログで再三、重大な危機として訴えてきている現代世界のグローバル化。その中にあってマスコミがこぞって取り上げたことで問題視されただけではないでしょうか。

 そもそも、自分が住んでいる地域の自治体に抗議をするのならわかりますが、なぜ「日本」と国全体に憎しみを向けるのか。そのうえ「死ね」というのはつまりは滅亡しろということ。様々な考え・立場の人が、憎しみ合うのではなく話し合って、いろんな問題を乗り越えながら受け継がれてきた国。国という共通の土台があってこそ、国民は争うことなく、支え合いながら生活を営むことができます。そんな、私たちにとってかけがえのない日本国に対して「死ね」とは。それに対して賞を与えるとは。

 保育園不足に不満をもつ人にとっては、一時的には満足かもしれません。でも、自分の国を貶める先に、幸せな社会・世界は絶対にありません。

▼国境のない、グローバルな世界に平和はないということが徐々に明らかになり、イギリスではEU離脱が決断され、アメリカではトランプ大統領が誕生しました。

 国民として、自分の国を愛する心なくして、平和はありません。

トランプ候補はなぜ支持されているのか。アメリカ大統領選挙から、世界の構図を見極めよう!

アメリカ大統領選挙は3回目の討論を終え、報道によればクリントン候補やや優位のまま、11月8日の投票日を迎える。

 ネットではトランプ候補について、「トランプはもう駄目だ」「なぜこんな人物が支持されているのか不思議だ」「アメリカ国民、大丈夫か?」などの声が飛び交っている。

▼しかし、考えてもみてほしい。そんなことはとっくの前から言われていたことだ。トランプ候補は共和党の代表にすらなれないであろうというのが、当初の大方の見方であった。今日に至るまで、単に威勢のいい雄弁に騙され続けるほど、アメリカ国民は愚かなのだろうか(日本国民にも、民主党政権と鳩山総理大臣を誕生させてしまった愚かな過去があるが…)。話はそう単純ではない。

 圧倒的な資金力・組織力を有するクリントン候補に対し、なぜこれほど互角に渡り合うまでの支持を得ているのか。それにはそれなりの理由があるのだ。

▼メディアは相も変わらず、トランプ候補の過去のスキャンダルばかりを取り上げている。あるいは、大衆の心を掴むパフォーマンスを冷ややかに皮肉る論調も目立つ。しかし肝心の、両者が今現在掲げている政策の違いは結局のところどこにあるのか、その本質を理解している人がどれほどいるだろうか。

▼世界では今、グローバリズム VS 反グローバリズムナショナリズム)の構図で激しいせめぎ合いが生じている。そのことにようやく気づき始めたイギリスの人々が、EU離脱という重大な決断を下した。その時もマスコミは、各方面で混乱する情勢や、離脱の投票を後悔する国民ばかりをクローズアップしていた。「まさか本当に離脱するとは思わなかった」と嘆く人々を利用して、あたかもEU離脱が愚かな、滑稽な選択であったかのように映し出した。しかし、そんな票だけで過半数を上回るわけがない。当然これも、それなりの理由があってのことなのだ。その深刻な実態を知る人がどれほどいるだろうか。

▼そして、我らが日本にも確実に、加速度的に、グローバリズムの波が押し寄せて来ている。実は既に「情報戦」という名の戦争は始まっているのだ。問題の本質から目を逸らそうとするマスコミに騙されてはいけない。まずは一刻も早く、一人でも多くの国民が、たったいま侵食してきている、迫り来る巨大な危機に気づかなければならない。

▼世界の大国であるアメリカが、グローバリズム反グローバリズムナショナリズム)のどちらに舵を切ることになるのか。世界の流れを占う重要な選挙に注目したい。

もはやテレビは情報操作機関だ! 都知事選、桜井誠さんの選挙ポスターにモザイク。

www.buzznews.jp

▼もしかして、認知症なんじゃないの…? ネットから漏れ出てくる頓珍漢な発言の数々から、冗談のようで冗談じゃない心配をされる鳥越俊太郎さん。しかし、どうもマスコミは鳥越さんを応援したいようです。

▼日頃からテレビの腐敗ぶりには辟易しているところでありますが、ついにここまで来たかと愕然とするような思いです。メディアは結託し、こんなとんでもない仕打ちすらなかったことにされてしまうのでしょうか。いったいどこまで、偏向・歪曲・捏造報道が進行していくのか…。

 明らかな選挙妨害ですが、これでも多くの視聴者には気づかれない。少数が抗議の声を上げても抹殺されてしまう。これはもう、情報統制の域にまできているぞ…。アナウンサーはいつものように何食わぬ顔。淡々と、平然と、こんな作為的な世論操作が行われていることにただならぬ恐怖と不気味さを感じます。

▼この一件くらいは大目に見よう、などと思ってはいけません。これは、テレビの醜悪な報道姿勢のほんの一端が垣間見えたに過ぎない。都合の悪い情報は扱いを小さくしたり、特定の利権の意向に沿ったコメンテーターしか出演させなかったり、BGMやカメラアングルや、映像の切り貼りといった編集を駆使して巧妙に印象操作をしたりと、もうやりたい放題です。インターネットで知れば知るほど、そのおぞましい実態には驚きを禁じ得ないほどであり、マスコミは日本の癌であると言っても過言ではありません。そして、マスコミに取り上げられるような影響力をもつ人間ほど、表立ってこのようなマスコミ批判ができません。今こそネットを活用して、我々一般の国民が目を覚まし、立ち上がる時!

天皇陛下が「生前退位」のご意向を示される。私が考える、日本国民にとっての天皇陛下のご存在とは。

▼まずこの一報を聞いたときに思ったことは、天皇陛下がこれまでの間、日本国民の幸せのために祈りを捧げてくださったことへの心からの感謝でした。そして、天皇陛下と共に生きた平成の時代が終わりを迎えることへの、言いようのない寂しさがありました。

▼日本国民にとっての天皇陛下のご存在とは何か。このあまりにも重い問題について語ることは畏れ多く憚られるのですが、語れないのは恥ずべきことであると感じました。ところが恥ずかしながら私は、学生時代に小林よしのりさんの著書である「天皇論」を読んだ以外に、天皇陛下についてほとんど学んだことがないのです。

 日本にとって最も崇高で尊いご存在であるはずなのに、一体なぜ? 考えてみれば学校でも、憲法で「日本国、日本国民統合の象徴」とされているということの他に、詳しく教わった記憶が私にはないのです。そして、敢えて不躾を承知でありのままに言ってしまえば、多くの人が、天皇陛下について、必ずしも学ばずとも生活していけるという認識になってしまっているのが、今の日本の現状ではないでしょうか。

▼不勉強を承知の上で私の考えを述べるならば、日本国民にとっての天皇陛下のご存在の意味というものは、理屈で語るよりも、まず日本人一人ひとりが感じ取るものだと思います。さらに、日本人であれば、誰もが自然に感じ取れるものだと思います。その上で、これからも万世一系の皇統を守り続けるため、学び、考えていかなければなりません。

▼私は、このブログを始めたころから最近まで、なるべくは政治や社会のテーマに触れたくないと考えていました。

tamahiko.hatenablog.jp

 しかし、いまの日本を知れば知るほど、重大な危機感が募る一方です。不気味な、巨大な黒い影が忍び寄り、人知れずゆっくりと、しかし確実に浸透し、広がろうとしているのを感じています。政治・社会を覆う影や、天皇陛下までをも語れなくしてしまう影…。日本人であれば皆で共有できる問題に対して、微力であってもできる限りの行動をしたい、そう考えるようになってきました。そのために、もっともっと勉強したい。そして、自分の信じるところを書き続け、訪れてくださる皆様と一緒に考えていければと思っています。

鳥越俊太郎さんが都知事選に立候補、出馬へ。政治に詳しくない人々が、正しい選択をするにはどうすればいいか。

鳥越俊太郎さんは都知事として適任であるか? 私は都民ではないのですが、もう今さら語るまでもない、その意欲すら失せてしまうというのが正直なところです。

 テレビ放送に甚だ質の低下を感じたこともあり、自宅にテレビを置かなくなって大分たちます。これまで鳥越さんがどんな発言をしてきているかはネットで垣間みてきた程度です。あまり関心が湧かず詳細まで覚えていないので具体的な論評はできませんし、私がこのブログで語るべきは他にあると思うのです。

▼多くの人々は、自身の生活のことで頭が一杯で、政治のことを勉強する余裕がない。そして私もその一人なのです。政治的な肩書きもステータスもない私が、こんな地味ブログで例えどんなに正論を訴えたとしても、ほとんど説得力を持ち得ないでしょう。多くの人にとっては、習慣的に目にするテレビで取り上げられる知名度や、政治に詳しい「はず」の出演者の発言が判断基準になる訳です。

 しかし、そのテレビの報道姿勢や出演者の発言に誤りがあれば、人々も判断を誤る。

 テレビが誘導したとしたら、当然人々も誘導されるのです。

 そのことを、一人ひとりが自覚しなければなりません。最終的には、マスコミの編集というフィルターを通さずに、候補者の姿を自分の目で見て、候補者の声を自分の耳で聞いて、自分の頭で考えるということをする以外にないでしょう。いつでも正しい判断ができる人なんていないはずです。大事なことは、常に自分を省み、考え続ける姿勢ではないでしょうか。

▼「政治に詳しくない人々が、正しい選択をするにはどうすればいいか」 それについての私の答えは「自分の頭で考える」です。今、みんなに呼びかけられるべきことは、「○○さんに投票しましょう」ということではなく、「一人ひとりが自分の頭で考えましょう」ということではないでしょうか。

▼今、インターネットという革命的なツールの普及により、人間と情報との関係は大転換の真っ只中にあります。一人ひとりが、いかにインターネットを活用できるかが問われています。

▼私は、ブログで特定の政治的思想を訴えることはなるべくしたくないのです。ただ、「みんなで考えましょう」ということを訴えたいと思って書いています。

 という訳で、私も鳥越さんの会見における立候補表明をネットで視聴してみたのですが、都知事の適性についての認識が変わることはありませんでした。しかし、これからもできる限り、一人ひとりの候補者、マスコミが嫌うような候補者にもしっかり目を向けるようにして、都民のみなさんと一緒に考えていきたいと思います。