かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

割烹料理の店で、頼んでもいないお通し代600円を請求された件

▼昨日、寄席が終わって、用事を済ませて電車で帰ろうとしたところ、少し前に発車してしまっていた。次の電車まで1時間待たないといけない。そこで、こんな時によく利用している駅の傍の喫茶店で、くつろいで読書することに。

 時間は17時30分。せっかく町に来たのだから、ちょっと早いけど夕食も食べていこうか。そうだ、近くにランチが美味しい、あなご専門の割烹のお店があったんだった。夜だと少々値が張るだろうが、せっかくだし。電車は次の次にしよう。18時20分頃まで時間を潰して、喫茶店を出た。

▼こういうお店は、昼は手頃な価格で定食が振る舞われても、夜になると一品料理やコース料理が中心となり、入りにくくなることが多い。私はあまり酒も飲まないし、普段からこういう夜専門の店には馴染みがない。しかし店の表のお品書きに、様々な一品料理が書かれている中に「あなご箱飯」の文字を見つけた。金額も、まあなんとか払えるかというくらい。よし、入ろう。

▼店の中は、早い時間ながら7〜8割の席が埋まって賑わっていた。なかなか清潔感があって、木のぬくもりがあって落ちついた佇まい。入ってすぐのカウンターに空きがあって案内された。既に中年から年配の常連と思われる客たちが、料理人と和やかに会話を楽しんでいた。いささか居心地の悪さを感じながら椅子に腰をおろす。

 あなご箱飯を注文し、若い店員から「お飲物は何になさいますか?」と聞かれる。来たよ…必要なら自分から頼むのにわざわざ聞かれる、いつものやつが。こういうとき私はいつも、客なので堂々としていればいいのに、若干の後ろめたさを感じながら「結構です」と言う。実際、水で十分なのだ。「お冷やですね」との返事で引き上げていったのだが、引き返してきて「烏龍茶はいかがでしょう?」と聞かれる。何食わぬ顔で「いいです」と答える。

 まずは、お通しがきた。四角く切られた一口サイズの玉子豆腐が2つ並んでいる。上下層は、おそらく穴子が混ざった薄いゼラチンのようになっていた。その脇にワカメが添えられている。可もなく不可もないようなお通しを食べ終わり、程なくして、あなご箱飯が来た。さすが専門店だけあって、確かにうまい。タレがくどくなくて、あっさり完食できた。

▼さて、お会計、となった時に、値段を聞かされて「えっ?」となった。お品書きに書かれていた金額より600円も高い。女将が言う。「夜はお通しがつくの。ごめんね。」 どこか若年者をなめたような物言い。

 私の方は釈然としない。それがこの店のルールだったとして、それならそうと断りがないとおかしいんじゃないか。あなご箱飯一つくらいで夜に来店する客は場違い、という暗黙の了解ってやつなのか。

 だがここで、私の悪い癖が出た。こんな相手といちいち議論をするのも面倒くさい。時間を割かれるのも癪だ。600円となるとそうそう看過できない額だが、目くじらを立てるのも大人げないような感じもする。私は 「ああ、そうですか」と言って、これまた何食わぬ顔で支払ってしまった。

▼帰りの電車で振り返って思った。本当にこれで良かったんだろうか?と。もう二度とあの店に行きたいとは思わない。しかしあの場において、店のやり方を容認し、対価を支払った事実は残っている。毅然と抗議の意思を示すだけでもするべきではなかったか。

▼そもそも最近ブログを始めたのは、こういう「事なかれ」で良しとする生き方から脱却してみようという思いからだった。何もわざわざ時間をかけて、これほど文章をしたためる必要に迫られているわけではないのだ。ただ、もっと自発的に自分の意見を表明してみることで変われるかもしれない。

▼今後、同じようなケースに出くわした時は、最低限自分の主張はしようと思う。

●そんなことを考えた、まだまだ若造のたまひこでありました。今日もお読みいただき、ありがとうございました。