かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

巨人の野球賭博問題に胸が痛む もう一度「本物のプロ野球」が見たい

▼私は少年時代からずっと野球が好きだ。小学校、中学校は野球クラブに所属していた。大した結果を出すことはできなかったが、自分にとって、野球を通して得られたこと、学んだことは、かけがえのない財産になっている。

 レギュラーの時も、控えの時も。試合の時も、練習や準備をしている時も。そして中学校を卒業して、見るだけになってからも。野球に関わった全ての時間が貴重であった。

▼野球は我々に本当に多くのことを教えてくれる。長嶋茂雄さんの言葉「野球とは、人生そのもの」は至言だと思う。毎試合、一つとして同じことのない展開。選手一人一人の、独自のプレースタイルや生き様。そこから繰り広げられる数々の物語は、まさに人生を教えてくれる。その魅力は、とても語り尽くせるものではない。

▼私は少年時代、落合博満選手の孤高のプロ意識に心惹かれ、応援していた。当時は巨人の4番バッターだったことから巨人ファンになり、毎晩、夕飯を食べながらナイター中継に熱い視線を送っていた。巨人の金満体質への批判が多いこともわかっていたが、それでも、強いチームへの憧れは尽きなかった。

 6チームが優勝を争う熾烈なペナントレース。下位チームはありとあらゆる作戦を駆使して、凄まじい執念で襲いかかってくる。

 勝負の世界においては、トップを堅持し続けるということが何よりも難しく、厳しい道のりだと思う。最強のチームと、最も勝利に飢えたチームとの戦いは、劇的なドラマを生み、感動を呼ぶ。いつもいつも、栄えあるスター、ヒーローを擁してきた巨人というチームのおかげで、かつてたくさんの名場面を見ることができた。

▼それが、いつごろからだったろう。巨人の野球を見ていて、魅力を感じなくなってしまったのは。落合博満氏が中日の監督を退任してからはほとんど野球を見なくなっていたが、それでもやっぱりずっと気にかけて、随時ネットで目を配っていた。実は今回の野球賭博の一報を最初に聞いて、驚いたと同時にどこかで「ああ、やっぱり」と感じる自分がいた。

 少年時代から、どれだけの数、巨人の試合を夢中で観戦したかわからない。それだけに、見ていてなんとなく、でも確かに感じ取れるのだ。チームが本気で野球に向かっているか、否かが。プレー中、あるいはプレーが終わった時、ふとした瞬間に現れる選手の動きや表情、監督・ベンチの雰囲気、試合の展開、ニュースから伝わってくる出来事や、一つ一つのコメント…。巨人はどこかバラバラ、ちぐはぐだった。歯車が噛み合わなかった。

 資金力にモノを言わせて、あちらこちらから選手をかき集めた結果ということもあっただろう。チームというものは、どんなにお金をかけても、心が一つにならなければいとも簡単に、脆くも崩れさる。私は長年の野球観戦で、このことが決して綺麗事ではなく紛れもない事実であるということを、理屈だけでなく確かな感覚としてもわかった。

 しかし、一軍の選手の大半が毎試合のように金銭をやり取りしていたとなれば、もう話にもならない。巨人が失ってしまったものはあまりにも大きい。これから過去の栄光を取り戻すには、どれだけの時間がかかるだろう。もう、あの時の巨人は見られないのではないかという失望感もある。

▼それでも、どうかもう一度。私は、プロ野球に強く憧れ、たくさんの勇気をもらえたからこそ、ここまで頑張ることができた。

 もう一度、本物のプロ野球を見たい。あの時の情熱を取り戻したい。

●今日もお読みいただき、ありがとうございました。