苦手な上司とのやり取りから、言葉で伝えるということについて考える。
▼4月から新しい職場に異動となる。そこでとにもかくにも一番神経を使うことになるのは、職場での人間関係になるだろうか。そこで今日はこんな話題。
▼言葉が相手に届いたように見えても、実際、思ったほど十分に届いていないことは意外に多いのかもしれない。
▼かつて私には苦手な上司がいた。話し振りが淀みなく歯切れがよくて、理路整然としているように聞こえるのだが、冷静に考えると微妙に違うんじゃないかと思う。というか、今ひとつ理解できないこともある。しかしその様子がどこか得意気で、私のことを思って言ってくれているようなので、なかなか口を挟む気にもなれない。話の腰を折ってしらけた顔をされるのも面倒なので、感じ入ったように相槌を打ち、「なるほどー、そうなんですね!」と言ってしまうものだから、ますます拍車をかけてしまう。
▼思うにその上司は、それまでも部下から同じようなリアクションを受け続けてきたのではないか。おまけに上の立場になり誰からも指導されなくなると、次第に自分の不備に気づかなくなってしまう。
▼しかしこれも人事ではない。私の言葉はどれだけ相手に伝わっているか、相手の表向きの反応だけで安易に判断しないようにしたい。ましてや「わかってもらえているだろう」という驕りが生じれば、たちまち自己満足で、おめでたくも恥ずかしいことになりかねない。自分の言葉を常に省みて、できる限り最善を尽くして、相手に伝わるよう心を砕いていきたい。
▼上司から見れば「出来の悪い部下」と思われていたかもしれない。私が内心でどう思っていても、同意の言葉を発したからには上司を支持したことに変わりはない。私もいずれは、上司としっかり向き合って議論ができるよう、言葉を磨かなければならない。
昔の偉い人は、自分のことを指摘してくれる人を必ずそばにおいていたそうです。
— 塩沼亮潤大阿闍梨のことば(慈眼寺) (@ryojun_shionuma) July 1, 2015
自分の心の向上を望むかぎり、聞きたくないことや言われたくないことを言ってくれる人が絶対に必要です。
[心を込めて生きる] pic.twitter.com/9NKKv7xFkv
●今日もお読みいただき、ありがとうございました。