かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

新しい職場環境の思いがけないプレッシャーを真正面から受け止める。私が考える、会話が上手になる方法。

▼職場が変わり、環境も、上司たちの雰囲気もがらり一変した。

 今まであまりお付き合いしたことのないタイプの上司たちだ。決して悪い人たちではない。とても明るくて、リラックスしていて、開放的。そして親切に教えてくれる。ただ、あまりにも急に変わったものだから、不覚にも口が回らずに、どもる。表情がぎこちなくなり、心にもないような言葉が口をついて出る。

 おいおい、俺としたことが、一体どうしちまったんだ?ちょっと思い起こす限り、こんな経験をした記憶はしばらくない。

▼…これは昨日までの話。ここにきてようやく、本来のコミュニケーション感覚が蘇り、調子が出てきた。あーあ。一体全体、何をこんなに臆病になってるんだ?俺は。自分でも不思議なくらい。対人恐怖症じゃあるまいし。

▼思うにこの一年、地方において、ずっと知人らとは疎遠な生活が続いていた。職場の上司ともいつも程よい距離が保たれていて、真正面から向きあって深いやり取りをすることがあまりなかった。余計な気遣いなく仕事に集中することができて、感謝している。自宅に帰れば、インターネットで労せずして孤独を癒せる、そんな環境に安住していた。

 それが、また自然な環境に戻ったということだろう。これまで図らずもネットに著しく傾倒していた環境の方が特殊だったかもしれない。なんだか春の訪れと共に張り手で覚醒させられたような感覚だ。

▼「好きこそものの上手なれ」はまさに言い得て妙の格言であると思う。例えば私は、字を書くのが好きだ。小学生の時、字がうまい友人を真似てみたのが始まりだった。それ以降、教室に通うこともなく、字がうまい人たちの書体を楽しみながら取り入れてきた。字の形、バランス、大小、線の質…いろんな人の個性を自然に吸収して我流を確立した。たまに「字がうまいですね」とお褒めの言葉をいただくことがあるが、それほどうまくなろうと努めてきたつもりはない。単に好きで取り組んでいるうちにこうなった。その気になれば一層上達する自信がある。毛筆もやってみたいなあ。

▼一方で、人との会話はからっきしである。まず何より口数が少ない。なるべく話さないで済む方が楽でいいと思ってきた。会話が嫌いという訳ではない。ただ、なるべく軽い言葉は発したくない、然るべき時に然るべき言葉を話せる人間になりたいという思いから敢えてそうしてきたようなところもある。

 でも最近になって思うのは、それだけでは率直に寂しいし、面白味に欠けるんじゃないかということ。まず、こんな風にあれこれ考えている時点で会話上手から遠ざかっているのかもしれない。心を開いて、人と気持ちを共有することを素直に喜び、楽しもう。私は今の新しい職場の上司たちの雰囲気も好きだ。

 実は私には、会話を控えようとするきっかけとなった過去がある。もう十分、時間が経った。もうそろそろ、その呪縛を解こうと思う。

▼蛇足だが、パソコン教室、なんてのは典型例だと思う。初めてパソコンを触る人、ご高齢の人ならいざ知らず。熱心に通い続けるような人ほど、なかなか上達できなかったりする姿には目を覆いたくなってしまう。習うより慣れろ。上手な人ほど、自分で興味をもって試行錯誤を重ねるうちにみるみる上達していく。

▼いやー、この職場に身を投じて良かったなと思う。上司はもちろん、仕事も新鮮だ。もっと新しい自分を開拓していきたい。

●今日もお読みいただき、ありがとうございました。