かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

五輪エンブレムがA案に決定! 不透明な選考過程に疑念を禁じ得ない。

▼これまで国中で散々のすったもんだが繰り広げられてきた、オリンピックのエンブレム問題。この日ようやく最終決定が発表されたが、私としては非常に釈然としない、残念な結果となった。

 採用されたのは、一つだけ妙に異質な主張が感じられたA案であった。私は最初に4つの案を目にした時、A案だけは真っ先に候補から外れた。「シンプルで、すっきりしていて、日本らしさが感じられる」という意見も聞かれるが、物は言いようである。もう決まってしまったものにあまり文句をつけたくないのだが、私からすれば、地味で、暗くて、華がない。世界中が熱狂するスポーツの祭典を彩るエンブレムとしては致命的だと思う。

 市松模様と言われても、日本人の私ですら説明されて「ああ、そうなんだ」という程度だ。世界中の、ただただわかりやすい楽しさを純粋に希求している多くの一般大衆に「イチマツモヨウ」などと訴えたところでピンとこない…自己満足で終わってしまうのが関の山ではないだろうか。佐野氏のエンブレムもそうだったが、小難しい理屈は取り除くべきだと思う。誰が見ても、子どもたちが見ても夢や希望、ワクワク感を感じられるような、色彩豊かなエンブレムをなぜ選ばないのだろう。ネットではほぼモノトーンに近いA案に対して「喪章みたい」などと揶揄されてしまっている。

▼そこで注目されるのが以下の記事である。

 佐野研二郎氏のエンブレム審査の際も、裏に潜んでいた不正を内部告発した平野敬子さんが、今回の審査においてもゆゆしき問題を指摘していた。A案ありきの誘導が行われているというのだ。正直、私は最初に聞いたとき、それほど取り立てて問題視するほどではないように感じていたが、いざこういう結果になると、専門家の意見だけに俄然信憑性を帯びてくる。

 何より私が問題だと思っていたのは、当初ルールになかった「敗者復活作品」が1つ加えられていたということだ。それがA案なのかどうかはともかく、なぜそんな勝手なルール変更が行われたのか。一般公募したにも関わらず結局今回もプロのデザイナーが選ばれたこともあわせると、どうしても、今回も裏に「関係者の意向」がはたらいているのではないかと勘ぐってしまう。この不透明な選考過程について、国民は説明を求めることができないのだろうか。

 決まってしまってから文句を言うのは「後だしじゃんけん」「負け犬の遠吠え」ということになってしまうかもしれないが。私が生きているあいだ、もう1回くらいは日本でのオリンピック開催があるかもしれない。次は多くの人が納得できるエンブレムになるよう、選考方法についてもう一度国民全体で考え直す場がもうけられることを切に願う。

 

●ちなみに私が第一候補として選んだのはB案でした。C案は既視感があって、風神雷神と聞いても日本人の私でもあまりピンときませんでした。D案は優しい、可愛い、女性的なイメージで、もう少し強さが欲しいと感じました。B案は、強い魅力を感じたというほどでもないのですが、バランスがとれていて、理念にも共感でき、輪(和)に美しさを感じました。

 いろいろと文句を垂れ流してしまいましたが、決まったからにはA案でのオリンピック成功に向けて、一国民として応援したいと思います。意外に見慣れると良く見えてくるってことも…うーん、ないかなぁ…。