かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

グローバル化は人類の危機。今こそ「日本」を見直そう。

▼最近、職場の広報誌の「ひとりごとコーナー」の原稿依頼を受けた。

今日はそれをそのまま以下に転載してみる。

 

タイトル:日本的なモノを見直す

 本文:最近の私の専らの関心事は「世界のグローバル化」である。何の保証もない素人の私なりのリサーチによれば、どうもこのグローバル化とやらが現代世界を読み解く重要なキーワードであるらしい。「人・物・お金」が国境を越えて飛び交う趨勢の真っ只中の時代、自分はいかに生きるべきかということを、足りない頭でぼんやり思索するのが最近のささやかな楽しみなのである。

 思うに文化もグローバル化だ。私が愛好する音楽文化においても、数え切れない程のジャンルが国を越えて互いに影響し合い、混然一体となっている。

 昨今、ありとあらゆる物事が「混ざり合っている」と感じる。これは一見良さそうなことのようにも思えるのだが、見方を変えれば「均一に向かっている」ということ。今、世界は均一化に向かっているのではないか? それはそれで、行き過ぎればまたこれまでとは違った新たな問題が発生するに違いない。というかもう既に発生している。人類が次に直面する危機はこのあたりにあるのではないか。

 学生時代、洋楽の魅力に取り憑かれ、夢中で中古CDを買い漁り聞き込んだ。だが最後に行き着いたのは、これぞ邦楽(J-POP)と呼べる数少ないアーティスト達の曲だった。絵画に興味を持ち始めた時も、西洋画家の作品ばかりに目を奪われていたが、今となってはやはり、日本画家作品の深遠なる奥行き、神秘性、繊細な美しさにはかなわないと感じる。食事も、洋食や中華もいいけど、やっぱり一番は和食だ。ハロウィンフェスティバルが盛り上がり「祭」が疎かになってはならないとも思う。

 それはなぜかと言えば、優劣の問題ではなく、私が日本人だからということに尽きるだろう。日本で生まれ育ったのだから、この国の風土から発生し、脈々と受け継がれてきた伝統や価値観に帰着するのは自然なこと。もっと言えば、こんな時代だからこそそうあるべきだと思うのだ。日本固有のモノを意識し、守っていく気概が必要だと思うのだ。一人一人の人間が、自分とは異なる周囲に染まりながらも、それぞれの生い立ちで培ってきた矜持を大切にするように。

 これまで日本は、外国的なモノを柔軟に取り入れながらも巧みに消化・融合し、単なる真似ではないオリジナルを確立し発展してきた。しかし最近「日本的なモノとは何か」がいつの間にか曖昧になり、見失われつつあるのではないか。

 国々同士の「混ざり合い」はこれから一層加速度的に進むだろう。後戻りできずに行き着いた先、全てが均一になった世界を想像した時、ふと不気味な恐怖を覚える今日この頃である。

 新年早々、何やら物騒で非常に面白味のない投稿をしてしまったが、ひとりごとということなので気にしないことにする。何か面白いことを始めようと考えた時、学生時代の弓道部の活動を思い出す。昨年は弓道本を買い込み、練習用のミニ弓も購入しておきながら指一本触れないという体たらくであった。今年こそは休日の引きこもりはほどほどに、外で陽の光を浴びて弓を引くというのが、達成率20%の私の目標である。