かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

学校の授業の大半が退屈だった理由

▼自分の人生を振り返り、何に一番時間を費やしてきたかを考えるに、「学校で授業を受けた時間」が思い浮かぶ

 人生の3分の1は睡眠時間であると言われるが、学生時代においては、布団から出ている時間の3分の1は授業を受けていたと言えるのではないか。

 であるはずなのに、私の場合、授業で学んだ実感というのが高校から明らかに薄れ始め、大学に関してはほとんどないのである。テスト前の、テスト対策勉強にひたすら集中していた。同じ感覚を持つ人は決して少なくないのではないか。

 考えられる理由は多々挙げられるのだが、一番の理由は「受け身一辺倒であるから」だと思う。受け身は楽だ。しかしその弊害として、主体性が失われてしまう。

 中学校までは、生きていく上で最低限必要な勉強であるとの認識があったから、自ら学ぼうという意欲があった。しかし高校に上がってから、どう考えても役に立つとは思えない専門的な内容になり、苦痛でしかなくなってしまったのだ。

 大学に上がり、自分が希望した学部の授業になれば変わるかと期待していたが、残念ながらほとんど退屈だった。授業の内容が、実際に現場でどう役立つかのイメージが湧かなかったのだ。今になって、こういう現場だと知っていたならもう少し勉強に身が入っただろうなと思うことがある。

▼私が言う「受け身」というのは、形式の問題よりも姿勢の問題である。いくら参加型の授業でも、学生が必要性に疑問を感じながらやらされている状況では苦痛でしかない。

 目的を明確にするということ。それも、できる限り強い意志と情熱を注げるようにすることが大切だ。