ひさしぶりに「馬鹿笑い」をしてみたい
▼最近、馬鹿笑いをしていないなあ。
どうにも気分が晴れない時は、とにかく無理矢理にでも笑顔を作って、大きな笑い声をあげれば、結構前向きになれる気がする。
▼私は家にテレビを置いていない。インターネットで事足りるからだ。テレビをつけていれば、自然と笑い声につられて気持ちが上向くだろうか。ただ、どうも最近のテレビは「作り笑い」が多い気がするのだ。バラエティ番組では文字通り、編集で笑い声が加えられたりしている。
M-1グランプリなんかを見ていると、どうも最近の笑いはどこか「知的でクール」なのだ。すごく完成度が高くて、計算されていて、洗練された高度なテクニックが駆使されているのを感じる。自分にとってはそれが、ちょっとシラけてしまうんだなあ。
▼youtubeで昔のお笑いを見てみると、高度経済成長の当時の熱気と相まって、強烈で荒削りな笑いのエネルギーがほとばしっている。聞き手が追いつくのがやっとなくらいのスピードであったり、今では放送コードで封じられてしまうであろう刺激的なフレーズであったり、現代では白い目で見られるようなくだらなさであったり…。小細工なしのわかりやすさが愉快、愉快。
▼今、ぱっと思い浮かぶのが「ダウンタウンのごっつええ感じ」のコント、キャシィ塚本だ。常識的な感覚で見れば誰もが眉をひそめるような、奇声とともに繰り出される破天荒な暴挙のオンパレードである。笑えないはずなのに、笑ってはいけないはずなのに、なぜか笑える。もちろん、この不健全極まりない笑いを諸手を挙げて賞賛する訳ではない。
ただ、人間、時にはこういう笑いに救われることが確かにあると思うのだ。
▼最近の自分は、どうもシケたツラになってしまっている。もっとあけすけに、豪快に笑ってみたいものだ。