かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

東京23区の新成人 8人に1人が外国人。 新宿区の新成人 ほぼ半数が外国人。 

www3.nhk.or.jp

▼以前から再三このブログで警鐘を鳴らし続けてきている外国人問題ですが、時に「平和ボケ」と揶揄される日本人の間でも、さすがに危機感を覚える人が多かったんじゃないでしょうか。あれ、これってもしかしてちょっとヤバいんじゃない・・・?と。

 私が見るに、NHKは外国人が本当に大好きです。ありとあらゆる番組において、随所に、意図的に外国的要素を仕込んできます。国民に警戒心を抱かれぬよう、さりげなく、巧妙に・・・。

 このニュースでも、

 有識者「外国人が社会担う有力な存在に」

 とかなんとか言って、何やら明るい希望をイメージさせるようなコメントを挟み込んでいますね。私にとっては、朝日新聞に勝るとも劣らない卑しさが透けて見える報道です。中立を謳うのであれば、外国人が日本社会を担うことの危険性を唱える有識者も取り上げなければなりません。

 NHK朝日新聞がなぜこんなことをするかって? それは、日本が嫌いだからなのだと思います。まさか、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、考えてみれば、今の「日本社会」に不満を持つ人はたくさんいる訳です。となれば、「外国的になって欲しい」「外国の力を借りたい」と考える国民が増え、その国民を煽る放送・報道が増えるのはなんら不思議はないと言えましょう。私はそういう意見の存在そのものを否定するつもりはなく、是非、大いに議論されるべきだと思っています。

▼私は何も、外国人を差別するつもりは毛頭ありませんが、区別は必要と考えています。この先間違いなく、日本国内の外国人は加速度的に増えていくでしょう。文化や価値観も外国化していくでしょう。というより今や、外国化・多様化自体が日本の姿という気すらしてしまいますね。その行き着く先は、果たして日本と言えるのか。それは本当に我々に平和をもたらしてくれるものなのか。

 日本とは何か? 国とは何か?を真剣に考えなければならない時を迎えていると思います。

天皇陛下は演じておられるのか? 朝日新聞の世論操作記事に抗議!

▼12月1日ともう随分前の記事になるが、未だに私の胸にわだかまりとしてつかえている記事をご紹介したい。yahooトップの見出しにも登場し、これを読んでまんまと騙され「ああ、やっぱりそうだよな」と感じてしまった人は多いと思う。実際、コメント欄にもそのような声が多数であった。

 言わずと知れた反日売国朝日新聞のこの記事は、一見陛下を気遣う風を装っておきながら、実は陛下の尊厳、威厳を傷つける意図が隠されている。

▼いついかなる時も慈愛に溢れ、国民一人一人としっかり目を合わせてお話を交わされる天皇陛下東日本大震災にあたっては、天皇陛下の被災地訪問でどれだけの被災者が勇気づけられ、救われたことか。一方、菅直人首相の形式的で浅はかな訪問は被災者の逆鱗に触れ、罵声を浴びせられる始末。国民にはしっかり伝わるのだ。言うまでもなく、天皇陛下は決して演じてなどおられない。心から国民の生活を案じ、国民の幸せを祈りながら語りかけてくださっている。だからこそ心に響くのだ。

▼こんな無礼極まりない新聞が発行部数2位を占めている現状が嘆かわしい。こんな愚かな記事に騙されてはいけない。2677年にわたって日本の国体を守り続けてきた「天皇」の威信を、国民はこれからもしっかりと守り続けなければならない。

グローバル化は人類の危機。今こそ「日本」を見直そう。

▼最近、職場の広報誌の「ひとりごとコーナー」の原稿依頼を受けた。

今日はそれをそのまま以下に転載してみる。

 

タイトル:日本的なモノを見直す

 本文:最近の私の専らの関心事は「世界のグローバル化」である。何の保証もない素人の私なりのリサーチによれば、どうもこのグローバル化とやらが現代世界を読み解く重要なキーワードであるらしい。「人・物・お金」が国境を越えて飛び交う趨勢の真っ只中の時代、自分はいかに生きるべきかということを、足りない頭でぼんやり思索するのが最近のささやかな楽しみなのである。

 思うに文化もグローバル化だ。私が愛好する音楽文化においても、数え切れない程のジャンルが国を越えて互いに影響し合い、混然一体となっている。

 昨今、ありとあらゆる物事が「混ざり合っている」と感じる。これは一見良さそうなことのようにも思えるのだが、見方を変えれば「均一に向かっている」ということ。今、世界は均一化に向かっているのではないか? それはそれで、行き過ぎればまたこれまでとは違った新たな問題が発生するに違いない。というかもう既に発生している。人類が次に直面する危機はこのあたりにあるのではないか。

 学生時代、洋楽の魅力に取り憑かれ、夢中で中古CDを買い漁り聞き込んだ。だが最後に行き着いたのは、これぞ邦楽(J-POP)と呼べる数少ないアーティスト達の曲だった。絵画に興味を持ち始めた時も、西洋画家の作品ばかりに目を奪われていたが、今となってはやはり、日本画家作品の深遠なる奥行き、神秘性、繊細な美しさにはかなわないと感じる。食事も、洋食や中華もいいけど、やっぱり一番は和食だ。ハロウィンフェスティバルが盛り上がり「祭」が疎かになってはならないとも思う。

 それはなぜかと言えば、優劣の問題ではなく、私が日本人だからということに尽きるだろう。日本で生まれ育ったのだから、この国の風土から発生し、脈々と受け継がれてきた伝統や価値観に帰着するのは自然なこと。もっと言えば、こんな時代だからこそそうあるべきだと思うのだ。日本固有のモノを意識し、守っていく気概が必要だと思うのだ。一人一人の人間が、自分とは異なる周囲に染まりながらも、それぞれの生い立ちで培ってきた矜持を大切にするように。

 これまで日本は、外国的なモノを柔軟に取り入れながらも巧みに消化・融合し、単なる真似ではないオリジナルを確立し発展してきた。しかし最近「日本的なモノとは何か」がいつの間にか曖昧になり、見失われつつあるのではないか。

 国々同士の「混ざり合い」はこれから一層加速度的に進むだろう。後戻りできずに行き着いた先、全てが均一になった世界を想像した時、ふと不気味な恐怖を覚える今日この頃である。

 新年早々、何やら物騒で非常に面白味のない投稿をしてしまったが、ひとりごとということなので気にしないことにする。何か面白いことを始めようと考えた時、学生時代の弓道部の活動を思い出す。昨年は弓道本を買い込み、練習用のミニ弓も購入しておきながら指一本触れないという体たらくであった。今年こそは休日の引きこもりはほどほどに、外で陽の光を浴びて弓を引くというのが、達成率20%の私の目標である。

Yahooトップニュース「国民に説明 首相に具体性なく」… 洗脳されている人は洗脳されていることに気づけない

headlines.yahoo.co.jp

 ▼日々、時間に追われて生活している多くの国民は、この見出しを一目見て「ああ、そうだったんだ」と思うだろう。ほんの小さな13文字の見出しだが、どれだけの人の目に触れるかを考えれば、その莫大な影響力は計り知れない。

 この見出しが、私にはどうしても納得できない。見過ごすことができなかった。

▼今日も夜遅くの帰宅。安倍総理の会見が本当に具体性を欠いていたのか、最初から最後までチェックする時間なんて私にもない。

 ただ、具体性なんてのは記者の主観じゃないか。人によっては「十分具体的だった」と受け取るかもしれないし、「端的に、国民にわかりやすい言葉で伝えていた」と視点が180度異なる感想もあるだろう。

▼特定の読者の欲求を刺激するような雑誌や機関紙なら許せる。だが、これだけ公にされる記事はできる限り客観的・中立的であるべきだし、実際に朝日新聞は綱領で公正を掲げている。会見で何が話されたのか、その事実だけを示すべきではないか。意見があるなら社説として、あるいは主義主張している人物が示された記事として載せるべきだ。見出しで具体性がないと決めつける傲慢さに憤りを覚えると同時に、こんな見出しが堂々とトップニュースに置かれている光景に恐怖を感じる。

▼こうやって、さりげなく巧妙に国民を誘導する卑劣な新聞報道・テレビ放送が、見るに堪えないほどに溢れかえっている。それも、ニュースだけではなく広告・バラエティ・ドラマなど隅々に至るまで。あまりにもそれ一色に染まっているもんだから、それが国民の「常識」になりつつある。

▼私は家族の一人であり、職場の一人でもある。だがそれ以前に、今は、国民の一人としての自覚を確かにする必要を痛切に感じている。多くの国民が、洗脳によって、その自覚を抜き取られてしまっているように見えてならない。もう既に、重大な危機は人々の目に見えない形で、日本を加速度的に侵食してきている。

▼国境のない世界に平和はない。

 それぞれの国が、自分の国に誇りをもち、自主独立の精神をもち、世界のためにそれぞれの役割を果たしてこそ平和があると私は考えている。

 今こそ、日本国民は日本を守らなければならない。

▼このように愛国心を語る人間が変わり者の世の中ならば、私は変わり者のままでいい。

 人知れず、私なりに、私なりの方法で抗い続けて死ねればそれで本望と思っている。

待機児童問題。そもそも保育園、共働きありきの議論に疑問。

▼待機児童問題で、お母様方が悲鳴をあげている様子が連日報道されています。私がこのニュースを見ていつも思うのは、「じゃあ保育園を充実させましょう」という単純な議論だけでいいのかということです。

▼女性の社会進出と言われますが、それは望んでのことなのでしょうか、それとも止むを得ずなのでしょうか。正確なところはわかりませんが、経済的理由から後者である女性も少なくないのではないでしょうか。であるならば、子育てに専念したい女性はそうできるように「日本の経済を良くするにはどうすればよいのか」という根本的な議論が必要です。

 ところが日頃ニュースを見ていて、その当たり前の議論が全然なされていない。というか、されていても、コメンテーターの話はいつもわかりにくい専門用語ばかりで曖昧なまま。なぜ日本の景気が良くならないのか、肝心要のことが見えない。

▼例えば平成26年の消費増税を境に、日本のGDPは一気に急落。揃って増税論を唱えていたテレビ・新聞・評論家は忘れたかのように知らん顔です。

 もうずっと前から「デフレだ」「不景気だ」とか言われながら、メディアはその理由を、解決法を国民に知らせません。なぜならメディアは、国の経済よりも、己の経済の方が大事な権力者に支配されているから。経済を知らない国民を操る格好の道具になってしまっています。

▼私は、働きたい女性は働けるようにすると同時に、子育てに専念したい女性は子育てに専念できるようにするべきと考えます。特に乳幼児にとっては、保育士よりも母親とのスキンシップが何よりも大切ではないでしょうか。

 乳幼児たちはきっと、何もわかっていないようでいて、実は恐ろしいほどに、周囲からの刺激に敏感になっている。他の誰でもないお母さんの温もりこそが一番必要だと思うのです。