かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

日本人で日本語を本当に使いこなせている人はどれくらいいるのだろうか

▼誠に恥ずかしく情けなく、人から冗談だろうと疑われるかもしれないことを敢えて告白すると、この歳になるまで自分の言語力向上の必要性を感じたことがない。意識して自分の言葉を磨こうと思ったことがない。それは、残念ながら私が相応の言語力を持ち合わせていたということではなく、単に鈍感、無頓着だったということなのだ。そのツケは思いのほか大きいのかもしれない、場合によっては手遅れかもしれないと、ここにきて強い危機感を抱き始めている。

▼人は、平均どれぐらいの年齢で、自分の言語力向上の必要性を意識するものなのだろうか。それは環境に左右されるところが大きいだろう。私の場合は、大学を卒業するまで、目の前の試験に合格さえしていればよかった。人とのコミュニケーションにおいては、多少言葉が拙くても、ちゃんと相手に対する誠意さえあれば十分通じ合えるという慢心、あるいは甘えがあった。

 そして、自分の考えを明確な言葉にしないことが、ある人に対しては敬意や遠慮、ある人に対しては寛容的な優しさの表現となって、好都合に感じるようなところがあった。

▼しかし大学卒業後に社会に出てから、それだけでは本当の相互理解は得られず、相手からの評価が下がるのだということにだんだん気づくようになり、焦り始めている。

▼今さらながら、日本語というのは本当に難しいものだと思う。唐突に「あなたのことをよく教えてほしいのです。これから自己紹介をお願いします」と言われて、自分の思考の流れに沿って淀みなく言葉に変換していける人というのは、どれくらいいるだろうか。普段から自己紹介をする機会がないと、結構戸惑ってしまう人は多いのではないか。

▼よく、日本人は衝突を避け、ものをはっきり言わない人が多いと聞く。それは、単に控えめな性格の人が多いということだけでなく、日本語の難しさによるところも大きいのではないか。

▼今は何より、まさにこのブログの文章を書き上げるのにかかる時間の長さに、未熟さを痛感している。文章を書くのが好きで、たくさん日記を書いてきたのにこれだ。まずはとにかく、2ヶ月、更新を継続すること!が目標である。

●今日もお読みいただき、ありがとうございました。