かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

もし文系に進んでいたら? 仕事をする、ブログを書く一番の原動力は何か。

▼4月に入ったのを境に、一目瞭然にブログの更新頻度が減った。しかしそんな中でも本当にありがたいことに、ブログへのアクセス数は日々重ねられている。こんな自分本位の文章でも読んでくれる人がいる限り、期待を裏切りたくないと思う。プロフィール欄に書いているとおり、読者の存在こそがまさに原動力になっている。逆に言えば、それがなければブログを書く理由はなくなる。

▼正直、ブログ開始1ヶ月のアクセス数を見て以降、投稿意欲が削がれてしまった感も否めない。思っていたほど芳しくなかった。たかだか1ヶ月で結論を下すのは尚早だろうが、果たしてこの数字は自分にとって、かけた労力に見合う成果と言えるのだろうかという疑問が湧いたのだ。

 新しい職場においても、日々、目の前には自分を必要としてくれる人たちがいる。一人一人を相手にする仕事ではあるが、これもまた大きな原動力だ。

▼私はたまに、文系に進んでいたらどんな人生になっていただろうかと考えることがある。小さい頃から、興味を抱いていたのはどちらかと言えば文系であった。読書感想文や弁論大会で入賞したこともあった。

 それと、国会中継を熱心に見ている子供だった。両親が渋い顔をするので、なるべく目を避けて、興味のない風を装いながら見ていた。一体なぜ、いつも議論が平行線になってしまうのだろう。時間をかけて突き詰めていけば必ず正解に辿り着き、わかりあえそうなものなのに、どうして言い争いになってしまっているのだろう。内容はほとんど理解できていなかったが、その成り行きに本当にもどかしい思いをしながら、興味深く見入っていた。

 中学校の生徒会に立候補した時は、政見放送の録画を何回も再生して、演説の研究をした。結果、派手なジェスチャーを交えた熱弁が大ウケして選挙で当選した。今現在の地味な私しか知らない周囲の人からはおよそ想像もつかない姿だろう。

▼高校生になって進路をどうしようかとなった時、両親から今の理系の仕事を勧められた。しっかり専門の資格をとって、安定した生活ができる仕事に就いて欲しいという親心を感じた。それに私は長男。両親から「長男だから…」といった話をされたことはない。しかし、自分が家系を継ぐのだという責任を、ごくごく自然に感じ取り、自覚していた。

 もし自分が次男だったら、良くも悪くも全く違った人生になっていただろうなということは強く思う。硬直した保守的言動をする私に比べて、弟は自由活発で、いつも周囲から親しまれる人気者。あの愛されようというのは持って生まれた才能とも言えるほどで、つくづく感心する。

▼進路を考える時期は、悩んで悩んで悩み抜いた。自分が文系だという確信もなかったが、両親に言われるがままに道を選ぶことだけは絶対にすまいと、自分の頭で、何日も何日も机の前で思索に明け暮れた。そして、本当に自分がやりたい仕事はこれだという結論に達し、今の理系の仕事に就いた。だから、一片の悔いもない。

▼ただ、文系に進んだらそれはそれで楽しい人生だっただろうなと想像することがある。言葉は、広く世の中の人の心に訴える深遠な力を秘めている。言葉を大いに学び、その力を遺憾なく発揮できたらどんなに楽しいだろう。やっぱりその幸せも捨て難い。

▼かつての私の原動力は、泥臭いまでの受験戦争勝利への執着心であったり、強烈に恋い焦がれた女性の存在であった。しかしいずれも、絶大な力ではありながら、いつまでも続くものではなかった。

 今の私の原動力は、第一が家系の存在。第二が理系としての仕事における相手の存在。そして第三が文系としてのブログにおける読者の存在、といったところだろうか。私を必要としてくれる人が存在する限り、その原動力は死ぬまで途絶えることはない。その力をできる限り発揮していきたい。

●今日もお読みいただき、ありがとうございました。