かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

オバマ大統領の広島訪問が実現。被爆者との対話が、平和に向けての歴史的な一歩に。

▼平成28年5月27日、オバマ大統領の広島訪問が実現しました。人類が核の脅威とどう向き合っていくかを考える上で、歴史的な日になったと言えるでしょう。

オバマ大統領と被爆者が、間近で握手をしながら、目と目を合わせながら言葉を交わす姿、そして抱擁する姿を見て、私は不覚にも感動で涙しました。

▼私は今でも、アメリカに謝罪を求めたい気持ちに変わりはありません。東京大空襲、広島・長崎への原爆投下は戦争行為ではなく戦争犯罪であり、東京「裁判」は、勝者が敗者を裁く、およそ裁判と呼べるものではなかったのですから。しかし現実的には、アメリカにとってどんなに深い罪の意識があったとしても、主張してきた正当性を根底から覆してしまう謝罪は到底できるものではないでしょう。謝罪の言葉なき訪問は、唯一の被爆国である日本が、アメリカの大罪を必要悪であったと世界に示してしまうことになりかねないと危惧してきました。そして、ついに謝罪の言葉はありませんでした。ただ、演説の最後にあの原爆投下を「道義的な目覚め」とし、過ちであったことを示唆する内容ではあったように思います。

▼しかし何よりも、オバマ大統領と被爆者が触れ合う姿からは、もはや言葉を超えたところでお互いを認め合い、平和を願う気持ちを共有しているのが伝わってきました。あの感動的な光景を見た全ての人が、それを確かに感じ取ることができたのではないでしょうか。

 一つ一つの文書、文言が命とも言える国際外交において、かつてこんな外交があったでしょうか。演説にも、文書にも謝罪の言葉はない。しかしあの光景は、オバマ大統領が決して偽善ではなく、被爆者と心から向き合い、二度と核の悲劇を起こさない決意であることをまぎれもなく明示するものであったと思います。そしてその稀有な外交を生んだのは、長年大変な苦しみを受けながらも、強く明るく寛大な精神で迎えた、尊敬すべき被爆者の方々です。

オバマ大統領と対話をした、日本原水爆被害者団体協議会代表委員の坪井直さんは、「大統領を退任しても、時々広島にやってきて被爆者の話を聞いてほしい」と話しています。

 人と人との関係は、直接の対話こそが何よりも大切と思います。今回、オバマ大統領と被爆者の対話が実現して本当に良かったと思います。

 これからが大事です。日本は、アメリカが今後どのように核と向かい合い、平和への歩みを進めていくのか、注視していかなければなりません。そしてアメリカとの間で、服従ではなく対等な真の同盟関係を築き、平和な世界の実現に向けて積極的なリーダーシップを発揮することが求められています。

オバマ大統領の広島訪問を前にして思うこと。日本の気概を取り戻したい。

▼いよいよ伊勢志摩サミットが開幕し、オバマ大統領が広島を訪問します。先日投稿した、日本人がオバマ大統領の広島訪問に謝罪を求めないのはなぜなのか。 のアクセスの反響がとても大きく、百田尚樹/著『カエルの楽園』読了。まだ日本の危機に気づくことができていない、多くの人に読んでいただきたい。に次いで、あっという間に2位に躍り出ました。

 この問題は、単に謝罪が必要か、必要でないかの2択で考えられるものではありません。謝罪が必要でないという方の中にも、様々な複雑な思いや葛藤を抱えておられる方もいらっしゃいます。また、オバマ大統領がどのような形で、どのようなメッセージを発信するかによっても大きく左右される、非常に微妙でデリケートな問題であり、かつ歴史的に重大な意味をもつとあって、多くの関心が集まっているのでしょう。

▼正直、私はこの問題の専門家でもありませんし、言及するのに抵抗を感じるところもあるのです。ことさらに原爆について語ると、何やら感情的に、熱いヒューマニズムを振りかざしているかのように映りそうだし、あまり触れないようにするのが暗黙の了解のような空気をひしひしと感じます。しかし、まさにこれこそが日本に蔓延している深刻な病理なのではないか。今こそ、全国民が真っ正面から受け止め、直視しなければいけない問題だと思うのです。

▼私は昨今のテレビ放送の質の低下に嫌気がさしており、見る時間があまりないこともあり、自宅にテレビを置いていません。しかし、先ほど勤務先のテレビでNHKニュース7を見たのですが、相も変わらず、広島のシンボルであるかのように、あの慰霊碑が大きく大きくズームアップで映し出されていましたね。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

 この文章の主語は一体誰なのか。原爆投下という過ちを犯したのは誰なのか。

 オバマ大統領の広島訪問で謝罪がされない、日本が謝罪を求めないということでは、多くの人々が読み取る石碑の主語がいよいよ「日本」になってしまうことが懸念されるのです。いいや、もう既になっているでしょうか…。

 

虎ノ門ニュースにて、武田邦彦先生は、個人的な意見として、謝罪を求めるべきとの主張を明確に打ち出しています。東京大空襲、広島・長崎への原爆投下は戦争行為ではなく戦争犯罪であり、東京裁判は勝者が敗者を裁く「リンチ」であった。悪いことは悪いとしっかり示してこそ核廃絶へとつながると訴えています。

 

日本文化チャンネル桜の上島嘉郎さんは、日本の気概をいかに発揮していくか、考える機会にしなければならない、と述べています。被爆者の証言集によると、息絶え絶えの人たちが言っていた言葉の一つは「水をください」、そしてもう一つは「仇をとってください」だったそうです。日本人は、そういった悔しさや無念といった精神が消されてしまった、あるいは自ら消してしまった。それがどこに由来するかを省みなければならないと述べています。

 

 ▼そして、虎ノ門ニュースにて青山繁晴さんが、もはや他の追随を許さない、情熱に溢れた、最前線の見解を述べています。両国間の水面下で、国益のせめぎ合いの交渉の中で、繊細な、微妙な擦り合わせが重ねられた結果、妥協の産物ではあるがかろうじて一致点が見出された。オバマ大統領の広島訪問は、日本とアメリカが対等な同盟関係を築き、世界のリーダーになれることを示す、歴史的な出来事になりつつあるとしています。

 

▼私は、ネットにおいて「謝罪なんていらない」と何の迷いもなく、ひどく安易に言い放たれる言葉の数々を、どうしても見過ごすことができないのです。被害者として怒りたくない、「寛容な大人」でいたいかのような心理に染まってしまっているように見えてなりません。

 日本人は、その被害のあまりの悲惨さに、原爆を直視できていないのではないか。感覚が麻痺してしまっている、あるいは自ら麻痺させてしまっているのではないか…。

▼言うまでもないことですが、どこかの国のように、未来永劫、相手を罵るような醜い謝罪要求をしたいのではありません。日本人として、日本国がオバマ大統領をどのように広島に迎え入れるのか、注目したいと思います。

イチローが4安打の大活躍! 世界の歴史に残る野球選手の偉大さについて。

▼その打ち立てられてきた燦然と輝く記録の数々は、どれだけ称賛しても称賛しきれない。

 その偉大さは、どれだけ語っても語り尽くすことができない、世界の歴史に残る野球選手、イチロー

 もう後にも先にも、これほどの野球選手は現れないだろうと言われています。

 少年時代から野球を愛してきた私にとってもずっと憧れの存在であり、今までどれだけの夢や希望、勇気を与えられてきたことか。イチローと同じ時代に生きて、そのプレーを見ることができていることを幸せに思います。

▼マーリンズに移籍後、少しずつ衰えが見え始め、いよいよさすがのイチローも厳しくなってきたか…そんな声も囁かれるようになっていました。しかし今シーズン、またしても見事に蘇ってきました。少ない出場機会、それも結果を出すのが難しい代打起用の中で、3割を優に超える高打率をマーク。

 そしてそんななか突如巡ってきたスタメンのチャンスで、いきなり4安打の大活躍!

 すごいぞ!さすがイチロー、やっぱりイチローだ!

 イチローは今でも、少年の頃のようなワクワクを思い出させてくれる。

 苦しい状況でも、いつもいつも変わらずに努力を怠らない。そして、予想を上回るほどの結果でみんなを驚かせてくれる。最近は全盛期とは違い、苦境の中で奮闘する姿からも、新たな感動をもたらしてくれています。

▼「42歳なのに!」という声が挙がっていますが、本人は年齢のことを言われるのを嫌うようです。何歳であろうと関係ない。年齢なんかで評価されたくない。人間は努力次第で、いくらでも力を発揮できる可能性を秘めているのだから、そのプレーを見てもらいたい…そういう思いなのではないでしょうか。

 イチローの受け答えからは、孤高のプロ意識とプライドが強く伝わってきます。それ故、かつては周囲を寄せ付けないような冷徹なコメントが聞かれることもありました。しかし一方で、WBCでチームを導く存在になることが求められた頃からでしょうか。笑顔で周囲と打ち解けるなど、心から楽しんでいる姿も見られるようになりました。

 イチローの言葉には、聞き入ってしまうような独特の重みや奥行きがあります。一方で、時には思わず笑ってしまうような、奔放な楽しさもあります。他の誰とも違った、イチローその人の生き様がにじみ出ています。そんなところも多くの人の尊敬を集める魅力でしょう。

イチローは、まさに一挙手一投足を見たいと思わせてくれる、真のプロ野球選手です。一つ一つの動きが本当に美しく、芸術的ですらあります。スポーツ選手を見ていると、理に適った正しい身体の動きというものは人間の目を確かに惹き付け、魅了するものなのだということがわかりますが、イチローは間違いなくその究極に達しています。

▼これからも、イチローのプレーをもっともっと見ていきたい。応援していきたい。

 そして、私もイチローのような素敵な人間に、少しでも近づきたい。心からそう思います。

日本人がオバマ大統領の広島訪問に謝罪を求めないのはなぜなのか。

オバマ大統領が広島を訪問するにあたり、あの戦争の原爆投下について謝罪がなされるかが注目されています。現時点では「核廃絶に向けた道義的責任」の言及まではあるのではないかと見られます。

●この問題についてネットでは「別に謝罪までは求めていない」という意見が大勢です。理由としては「戦争を終わらせるために必要だった」「韓国のようにいつまでも過去を持ち出すようなことはしない」「立場上、謝罪はできないだろうから、とにかく訪問して核廃絶への大きな一歩にしてほしい」などのようです。

● Japan Times によると、日本人は世界で一番、アメリカ人よりも、オバマ大統領の謝罪が必要という人が少ないようです。

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●皆さんはこの結果を見て、どうお感じになるでしょうか?

 私は、謝罪は必要ないという人たちのお気持ちも重く受け止めたいと思うのですが、その上でどうしても、本当にそれでいいのかという疑問を拭えないのです。極少数派であることを承知で、敢えて異を唱えたいのです。

●戦争を終わらせるためだったと言いますが、何の罪もない民間人であり、非戦闘員である高齢者、女性、子供、赤ん坊に対する、甚だしく残虐な大量殺戮は、紛れもない戦争犯罪であり、人類史上最悪とも言われる出来事でした。長崎にまで投下したのは、核兵器が人体に与える影響の実験のためであったと見られています。

●独立総合研究所社長で、安全保障の専門家である青山繁晴さんは、オバマ大統領の謝罪なき広島訪問は偽善の上塗りになると警告しています。核廃絶の演説でノーベル平和賞を受賞していながら、実際は「核軍縮」で合理的核利用に向かっているオバマ大統領。謝罪のない広島訪問が実現すれば、アメリカ国内で「日本は原爆投下を受け入れている。あれは必要悪だった」との刷り込みが決定的になってしまうと訴えています。落としどころとして「被爆者と直接会って、道義的責任に言及してもらうべき」と述べています。

●日本は、原爆により壊滅的な打撃を被って以来、「骨抜き」にされてしまってはいないでしょうか。謝罪を求めないという理屈はわかります。しかし、私はやるせない感情を禁じ得ません。

●学校の歴史の授業では、近現代史をほとんど教えられません。私も中学生の時、縄文土器は勉強した記憶があるのに、あの戦争をきちんと勉強した記憶がありません。この教育の現状は絶対に変えなければなりません。いろんな意見があっていいのです。ただ、あの戦争について、一人一人がしっかり学んで、考えなければなりません。

ベッキーの復帰は是か非か。嘘と本当、偽物と本物について。

●巷を大いに騒がせた、ベッキー川谷絵音の不倫問題。「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」の放送でベッキーが謝罪と復帰の意思を表明し、その是非について賛否両論が巻き起こっています。

 放送前は、芸能界はおおかた擁護の姿勢を示していたものの、世間からは厳しい声が多く聞かれていました。しかし放送後からは、視聴者からも復帰を容認する声が出てきているようです。

 まあ、復帰の是非については正解はない、ということになるでしょう。「不倫」は倫理的に許されることではありませんし、会見でついた「嘘」は社会に対する裏切り行為です。また、謝罪会見直前に文春によって「友達で押し通す予定!笑」というLINEでの会話が暴露され、少なくともあの時点では全く反省していないことが明らかになりました(プライバシーが守られるべき通信手段であるLINEでの会話が暴露されてしまったことは気の毒ではありますが)。

 しかしながら、極論を言えば、不貞行為にまで及んでいたとしても、舛添都知事とは違って刑事罰の対象になるような犯罪性の疑いはないわけです。だから復帰については、社会的に禁止されるものではないが、議論を要するものであるということになるでしょう。こういうグレーゾーンの問題は社会において常日頃たくさんあって、そのつど総合的な判断で、まさに私たち一人一人、世の中の声によって対応が決められていくことになるのでしょう。

●私としては、復帰の容認はやむなし、ただし応援する気にはなれない、というところです。ただそれは、今回の件を抜きにしたって、もともと応援していないというところが大きいかもしれませんが…。好感度ランキングで1位をとったりしていましたが、私は彼女の姿からはどこか「計算」や「あざとさ」を感じていました。

川谷絵音については言うに及ばず、でしょうか。未だに応援をしている人たちの気が知れません…。似た者同士、惹かれ合うということだったのか…。ちなみに、「いい音楽をやっているんだから、プライベートは関係ない」という声が聞かれるので「両成敗」をはじめ数曲をyoutubeで聞いてみました。ちょっとした音楽マニアである私の感想を言うと「何を伝えたいのかわからない…」。こういう、巧妙にバランスよく、いろんな音楽要素を混ぜ込んだ「スマートでおしゃれかっこいい似非ロック」は、私がどうしても好きになれない領域です(笑)。やはり音楽は、アーティストの人間性が間違いなく如実に現れる。この音楽は「まがい物」だ! 私は「まがい物こそロック」という錯覚に陥っている人たちに、異を唱え続ける頑固者でありたいと思っています(笑)。

カンニング竹山は今回の放送翌日、以下のツイートでベッキーを擁護している模様です。

  「完璧な人間なんていない」まあ、確かにその通りではあります。しかし多くの視聴者は、当然完璧な人間だけを求めているのではありません。不完全なところも含めて、ありのままの姿で楽しませてくれる、噓偽りのない人を求めているのではないでしょうか。果たして、これまでの経緯と今回の金スマの放送で、ベッキーは世間の信用を取り戻すことができたと言えるでしょうか? 私はこれからも「本物」を求め続けていきたいと思います。