かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

中国軍艦が日本の領海に侵入。今、怒らずしていつ怒るのか。

▼勤務の昼休み中でありながら、いてもたってもいられずに投稿しています。

▼中国は、越えてはならない一線を越えました。これは戦争事態です。

 傍若無人、無礼千万、断じて許されない振る舞いに、言いようのない怒りを覚えます。同時に、今に至るまで憲法9条に縛られ、戦後GHQの洗脳が解かれないままの日本が、とうとうこの日を迎えてしまったという失望感を覚えます。いずれこうなることはわかりきっていたことです。

▼先日、接続水域への侵入があった日、日本人の多くは、海老蔵さんの麻央夫人のニュースの方に心を痛めていました。私もあの夫妻のことは応援していますし、大事なニュースだとは思います。しかし、中国の許されざる行為の扱いがあまりにも小さい。そのうち、SMAPの解散にでも重ねて領海に侵入してくるのではないかと本気で心配していましたが、まさか舛添都知事の辞任に重ねてくるとは。

▼このままだと領海侵入も常態化して、次は尖閣諸島。いずれは沖縄です。日本は、憲法9条の「教え」に従うならば、追い払うこともできず、ひたすら対話を重ねていくことしかできない訳です。

▼まさか今日も、舛添さんのニュースでかき消されてしまうんでしょうか。

 怒らねば。いま国民は、怒らねばなりません。

「オネエ系」タレントが次々と注目を集めていることから、私がブログで「普通」のことを「普通」に書く理由を考えてみた

▼6月、梅雨の季節に入り気分を変えて、トップの背景色を紫陽花を思わせる? 淡い紫にしてみました。今後も四季の移ろいに合わせて色を変えるという、地味ブログならではの小細工でささやかに季節感を楽しもうかと。

▼さて、先日、電車の中の広告で、マツコデラックスの顔写真がデカデカと存在感を放っているのを目にしました。最近、本当によく見かけますねー。テレビに疎い私でも、しょっちゅう出てきて脚光を浴びているのは知っています。

▼もっと言えば、昨今「オネエ系」芸能人が次々と登場してきていて、話題に取り上げられるようになっていることに気づきます。ぱっと思いつくだけでも、尾木ママこと尾木直樹さん、IKKO、KABAちゃん楽しんごはるな愛…テレビを見ている方は他にもたくさんの名前が挙がるでしょう。もう既に昔からお馴染みになっていて、オネエであることを忘れてしまいそうな有名人も多く、幅広い分野で活躍しています。

性同一性障害という病気で苦しむ人もいることから、そういった社会的少数派の存在が認められ、堂々と活躍できるのは好ましいことであると思います。ただ一方で、最近あまりにももてはやされすぎではないかという疑問があります。出演状況に不自然さを覚え、オネエ系を積極的に起用したいというテレビ局の意向を感じずにいられないのです。

▼なぜ、オネエ系がテレビを賑わせているのか?

 理由は様々あるかと思うのですが、結局のところ私が考えるのは「型破りはウケがいい」ということなのだと思います。もちろん、その人自身の魅力によるところもあるでしょう。その上で、既存の常識、慣例、風潮、制度…そういった、長い時間をかけて社会で形成されてきた言わば「保守」的な文化(今回の例で言えば、男は男らしく、女は女らしくあるという文化)を打ち破り「革新」をもたらすところが、人々にとっては物珍しく、愉快であり「面白い」ということになるのでしょう。

▼ちなみに日常においては、人々の注目を集める上で面白いという要素は最重要と言っても過言ではないかもしれません。安倍総理大臣のニュースよりも、アイドルや歌手、芸能人のニュースに興味をもつ人の方が圧倒的に多いことからも明らかでしょう。ニコニコ動画のアクセス数を見ても「面白い」動画が爆発的なアクセスを集めているのは一目瞭然です。

▼受け手である我々は、提供されるコンテンツを自由に楽しむのはもちろん大いに結構なのですが、その一方で常に「現実的な視点」を持ち合わせていなければならないと思うのです。健全な社会を「保守」するための視点を。

▼私はまさか、オネエ系タレントの存在を否定するつもりなどは毛頭ありません。ただこの件で私の頭をよぎったのは、昨年渋谷区で同性カップルを結婚に相当する関係と認める条例が可決されたニュースです。社会的少数派の権利も公平に認めることは大切です。ただし私は、同性愛者は少数派のままであることが望ましいと思っています。同性愛者が増加した先に、子孫の存続はないのですから。社会を維持するためには、男性は男性として、女性は女性としての生殖機能が果たされることが基本となるべきだと思います。

 「冷徹すぎる」「神経質すぎる」「もっと寛容に考えるべき」といった意見もあるかと思いますが、果たしてそうでしょうか。私は、同性愛者を安易に必要以上に優遇してしまう気運になると、今後どんどん同性愛者、あるいはそれに近い傾向を持つ人が増加して、社会で相当な割合を占める日が来ても不思議ではないと思います。それほどの意識をもって慎重に考えるべき問題であると思います。

▼どうも最近のテレビは、オネエ系タレントをオネエ系であるが故に、ことさらにもてはやしたり、優遇したりしているように見受けられ、それは好ましくないと思うのです。かといって、当然冷遇するべきとも思わない。その人そのものをありのままに見て評価する姿勢が大切なのではないかと思います。

▼ちなみに、これまでの自分の文章を読み返してみると、自分が「普通」だと思うことを「普通」に書いており、保守的であり、面白味に欠けている感が否めないなーとつくづく思います。でも別に、自虐的になっているのではないし、そもそも面白い文章を書こうとしているわけでもありません。ただ今は、読者の存在をモチベーションに、自分の思考を忠実に文章化したくて書いている。面白い文章を書くよりも、まずはそれができるようになることを先にしたいと思うのです。

 私も少数派を承知で自分なりに思う保守を貫くのもいいし、あるいは、いずれは面白さも両立できるようになれたらいいかなーとも思っています。

▼内実を疎かにして、人からの支持ばかりを先に追い求めていくとどんな結末に行き着くか。

 舛添都知事のようになるわけですね。

 あのような悲劇を生んでしまうことのないよう、常に己を省み、人を見極めたいものです。

オバマ大統領の広島訪問が実現。被爆者との対話が、平和に向けての歴史的な一歩に。

▼平成28年5月27日、オバマ大統領の広島訪問が実現しました。人類が核の脅威とどう向き合っていくかを考える上で、歴史的な日になったと言えるでしょう。

オバマ大統領と被爆者が、間近で握手をしながら、目と目を合わせながら言葉を交わす姿、そして抱擁する姿を見て、私は不覚にも感動で涙しました。

▼私は今でも、アメリカに謝罪を求めたい気持ちに変わりはありません。東京大空襲、広島・長崎への原爆投下は戦争行為ではなく戦争犯罪であり、東京「裁判」は、勝者が敗者を裁く、およそ裁判と呼べるものではなかったのですから。しかし現実的には、アメリカにとってどんなに深い罪の意識があったとしても、主張してきた正当性を根底から覆してしまう謝罪は到底できるものではないでしょう。謝罪の言葉なき訪問は、唯一の被爆国である日本が、アメリカの大罪を必要悪であったと世界に示してしまうことになりかねないと危惧してきました。そして、ついに謝罪の言葉はありませんでした。ただ、演説の最後にあの原爆投下を「道義的な目覚め」とし、過ちであったことを示唆する内容ではあったように思います。

▼しかし何よりも、オバマ大統領と被爆者が触れ合う姿からは、もはや言葉を超えたところでお互いを認め合い、平和を願う気持ちを共有しているのが伝わってきました。あの感動的な光景を見た全ての人が、それを確かに感じ取ることができたのではないでしょうか。

 一つ一つの文書、文言が命とも言える国際外交において、かつてこんな外交があったでしょうか。演説にも、文書にも謝罪の言葉はない。しかしあの光景は、オバマ大統領が決して偽善ではなく、被爆者と心から向き合い、二度と核の悲劇を起こさない決意であることをまぎれもなく明示するものであったと思います。そしてその稀有な外交を生んだのは、長年大変な苦しみを受けながらも、強く明るく寛大な精神で迎えた、尊敬すべき被爆者の方々です。

オバマ大統領と対話をした、日本原水爆被害者団体協議会代表委員の坪井直さんは、「大統領を退任しても、時々広島にやってきて被爆者の話を聞いてほしい」と話しています。

 人と人との関係は、直接の対話こそが何よりも大切と思います。今回、オバマ大統領と被爆者の対話が実現して本当に良かったと思います。

 これからが大事です。日本は、アメリカが今後どのように核と向かい合い、平和への歩みを進めていくのか、注視していかなければなりません。そしてアメリカとの間で、服従ではなく対等な真の同盟関係を築き、平和な世界の実現に向けて積極的なリーダーシップを発揮することが求められています。

オバマ大統領の広島訪問を前にして思うこと。日本の気概を取り戻したい。

▼いよいよ伊勢志摩サミットが開幕し、オバマ大統領が広島を訪問します。先日投稿した、日本人がオバマ大統領の広島訪問に謝罪を求めないのはなぜなのか。 のアクセスの反響がとても大きく、百田尚樹/著『カエルの楽園』読了。まだ日本の危機に気づくことができていない、多くの人に読んでいただきたい。に次いで、あっという間に2位に躍り出ました。

 この問題は、単に謝罪が必要か、必要でないかの2択で考えられるものではありません。謝罪が必要でないという方の中にも、様々な複雑な思いや葛藤を抱えておられる方もいらっしゃいます。また、オバマ大統領がどのような形で、どのようなメッセージを発信するかによっても大きく左右される、非常に微妙でデリケートな問題であり、かつ歴史的に重大な意味をもつとあって、多くの関心が集まっているのでしょう。

▼正直、私はこの問題の専門家でもありませんし、言及するのに抵抗を感じるところもあるのです。ことさらに原爆について語ると、何やら感情的に、熱いヒューマニズムを振りかざしているかのように映りそうだし、あまり触れないようにするのが暗黙の了解のような空気をひしひしと感じます。しかし、まさにこれこそが日本に蔓延している深刻な病理なのではないか。今こそ、全国民が真っ正面から受け止め、直視しなければいけない問題だと思うのです。

▼私は昨今のテレビ放送の質の低下に嫌気がさしており、見る時間があまりないこともあり、自宅にテレビを置いていません。しかし、先ほど勤務先のテレビでNHKニュース7を見たのですが、相も変わらず、広島のシンボルであるかのように、あの慰霊碑が大きく大きくズームアップで映し出されていましたね。

 「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」

 この文章の主語は一体誰なのか。原爆投下という過ちを犯したのは誰なのか。

 オバマ大統領の広島訪問で謝罪がされない、日本が謝罪を求めないということでは、多くの人々が読み取る石碑の主語がいよいよ「日本」になってしまうことが懸念されるのです。いいや、もう既になっているでしょうか…。

 

虎ノ門ニュースにて、武田邦彦先生は、個人的な意見として、謝罪を求めるべきとの主張を明確に打ち出しています。東京大空襲、広島・長崎への原爆投下は戦争行為ではなく戦争犯罪であり、東京裁判は勝者が敗者を裁く「リンチ」であった。悪いことは悪いとしっかり示してこそ核廃絶へとつながると訴えています。

 

日本文化チャンネル桜の上島嘉郎さんは、日本の気概をいかに発揮していくか、考える機会にしなければならない、と述べています。被爆者の証言集によると、息絶え絶えの人たちが言っていた言葉の一つは「水をください」、そしてもう一つは「仇をとってください」だったそうです。日本人は、そういった悔しさや無念といった精神が消されてしまった、あるいは自ら消してしまった。それがどこに由来するかを省みなければならないと述べています。

 

 ▼そして、虎ノ門ニュースにて青山繁晴さんが、もはや他の追随を許さない、情熱に溢れた、最前線の見解を述べています。両国間の水面下で、国益のせめぎ合いの交渉の中で、繊細な、微妙な擦り合わせが重ねられた結果、妥協の産物ではあるがかろうじて一致点が見出された。オバマ大統領の広島訪問は、日本とアメリカが対等な同盟関係を築き、世界のリーダーになれることを示す、歴史的な出来事になりつつあるとしています。

 

▼私は、ネットにおいて「謝罪なんていらない」と何の迷いもなく、ひどく安易に言い放たれる言葉の数々を、どうしても見過ごすことができないのです。被害者として怒りたくない、「寛容な大人」でいたいかのような心理に染まってしまっているように見えてなりません。

 日本人は、その被害のあまりの悲惨さに、原爆を直視できていないのではないか。感覚が麻痺してしまっている、あるいは自ら麻痺させてしまっているのではないか…。

▼言うまでもないことですが、どこかの国のように、未来永劫、相手を罵るような醜い謝罪要求をしたいのではありません。日本人として、日本国がオバマ大統領をどのように広島に迎え入れるのか、注目したいと思います。

イチローが4安打の大活躍! 世界の歴史に残る野球選手の偉大さについて。

▼その打ち立てられてきた燦然と輝く記録の数々は、どれだけ称賛しても称賛しきれない。

 その偉大さは、どれだけ語っても語り尽くすことができない、世界の歴史に残る野球選手、イチロー

 もう後にも先にも、これほどの野球選手は現れないだろうと言われています。

 少年時代から野球を愛してきた私にとってもずっと憧れの存在であり、今までどれだけの夢や希望、勇気を与えられてきたことか。イチローと同じ時代に生きて、そのプレーを見ることができていることを幸せに思います。

▼マーリンズに移籍後、少しずつ衰えが見え始め、いよいよさすがのイチローも厳しくなってきたか…そんな声も囁かれるようになっていました。しかし今シーズン、またしても見事に蘇ってきました。少ない出場機会、それも結果を出すのが難しい代打起用の中で、3割を優に超える高打率をマーク。

 そしてそんななか突如巡ってきたスタメンのチャンスで、いきなり4安打の大活躍!

 すごいぞ!さすがイチロー、やっぱりイチローだ!

 イチローは今でも、少年の頃のようなワクワクを思い出させてくれる。

 苦しい状況でも、いつもいつも変わらずに努力を怠らない。そして、予想を上回るほどの結果でみんなを驚かせてくれる。最近は全盛期とは違い、苦境の中で奮闘する姿からも、新たな感動をもたらしてくれています。

▼「42歳なのに!」という声が挙がっていますが、本人は年齢のことを言われるのを嫌うようです。何歳であろうと関係ない。年齢なんかで評価されたくない。人間は努力次第で、いくらでも力を発揮できる可能性を秘めているのだから、そのプレーを見てもらいたい…そういう思いなのではないでしょうか。

 イチローの受け答えからは、孤高のプロ意識とプライドが強く伝わってきます。それ故、かつては周囲を寄せ付けないような冷徹なコメントが聞かれることもありました。しかし一方で、WBCでチームを導く存在になることが求められた頃からでしょうか。笑顔で周囲と打ち解けるなど、心から楽しんでいる姿も見られるようになりました。

 イチローの言葉には、聞き入ってしまうような独特の重みや奥行きがあります。一方で、時には思わず笑ってしまうような、奔放な楽しさもあります。他の誰とも違った、イチローその人の生き様がにじみ出ています。そんなところも多くの人の尊敬を集める魅力でしょう。

イチローは、まさに一挙手一投足を見たいと思わせてくれる、真のプロ野球選手です。一つ一つの動きが本当に美しく、芸術的ですらあります。スポーツ選手を見ていると、理に適った正しい身体の動きというものは人間の目を確かに惹き付け、魅了するものなのだということがわかりますが、イチローは間違いなくその究極に達しています。

▼これからも、イチローのプレーをもっともっと見ていきたい。応援していきたい。

 そして、私もイチローのような素敵な人間に、少しでも近づきたい。心からそう思います。