かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

【急告】真の国士、青山繁晴さんが参議院選挙に出馬! 今こそ、私たち国民一人ひとりが立ち上がる時

shiaoyama.com

www.sankei.com

www.sankei.com

www.sankei.com

▼上記リンク先で、青山繁晴さんの重大な決意とメッセージが表明されています。どうかご覧下さい。

▼一報を聞いた時、私は心の底から驚くと同時に、何とも切ない、いたたまれない気持ちになりました。

▼私は大学時代、自分の人生とは何なのか、その答えがわからず、悩みに悩み抜きました。

 親から離れて、初めての一人暮らし。幸いなことに、生活していくのには十分な仕送りをもらっていました。親に感謝し、節約をしながらではありましたが、完全に自由な身となり、好きな時に好きなことをできる学生生活を満喫していました。

 ところが、1年目の教養課程を修了し、2年目の専門課程に入った時、勉強がまったく面白くなくなっていました。ただ単位をとって、卒業して、将来職につくためだけの勉強。自分が本当にやりたいことはこれなのか? 自分は本当にこの仕事につくのか?

 何の束縛もなく、美味しいものを食べて、遊んで、寝る。それだけの生活では、むなしくなる。憧れの女性を、そして家族を守り、幸せにできるような人間になりたい。そのためには、世のため人のためになる人間になりたいと考えていました。

 ところが、正しいことが正しいと認められず、偽善ばかりがもてはやされる世の中。自分が思う正義・真実を追求しようとすればするほど、孤独になり、息苦しくなってくる。その現実に絶望し、部活もやめ、学校を休んで引きこもるようになりました。

▼留年の末、耐え難い苦痛に耐えながら学校に身体を運び、間一髪で一つ一つ単位をとり、命からがらのような思いで進級していくような学生生活でした。劣等感の塊となり、周囲の人と関わるのが嫌になり、授業が終われば自宅に逃げ帰り、インターネットの世界に没頭していました。どこへ向かえばいいのかわからないままで、孤独だった自分を救ってくれたのが、青山繁晴さんでした。

 他の追随を許さない、最前線の貴重な情報発信。類例のないほどの膨大な知識と、どこまでも深遠なる思考。どんなに理不尽な、過酷な状況にも屈することなく、終始一貫して国を思い、全身全霊で奮闘を続ける姿…。

 心から尊敬し、感銘を受けながら、生きる勇気と希望をいただいています。そして「一緒に考えましょう」の呼びかけに従って、今に至るまで、インターネットでの番組を通して、未熟な私なりに一緒に考えることを続けています。もはや、感謝の言葉しかありません。

▼青山さんは常日頃から、政治家にはならないとの意思を鮮明にされていました。自分を売り込むことはしたくない。どんな組織にも属さず、完全に自由で公平な立場から貢献するという信念から、民間シンクタンク独立総合研究所を設立し、社長として国のために粉骨砕身の尽力をされてきました。その青山さんが、社長を辞してまで、「自分の人生を壊す」と公言してまで、全てを投げうって政治家に転身するというのです。筆舌に尽くし難い、重大な決意と覚悟を感じずにいられません。

 青山さんは、いま国難であると言います。みんなが、いまを国難としっかり捉え直すことが再出発ではないかと呼びかけています。

 いまの日本を変えるためには、自らの人生を壊さざるを得ないと考えたと言います。私は一人の国民として、その決断を断固支持・応援すると同時に、尊敬する人がこれほどまでに追い込まれてしまったことを苦しく、やるせなく思います。そして、日本の現状を憂い、嘆かずにいられません。

▼今回の立候補にあたっては、安倍総理大臣から直接、電話での打診があり、重く受け止めたといいます。私は、これほど国政に身を捧げる覚悟をもった、選ばれるにふさわしい候補者は他にいないと考えます。

 ところが、現時点でこの重大ニュースを報じているのは、相変わらずなことに、ごく一部のメディアにとどまっています。元芸能人や元スポーツ選手の立候補は噂だけでも大々的に取り上げられるというのに。もういい加減、我々国民は目を覚まさなければなりません。メディアに踊らされて、知名度で舛添都知事が生まれてしまうような世の中は終わりにしなければなりません。

▼選挙公示期間中は、ただでさえメディアから敬遠されている状況の中で、レギュラーの番組参加もなくなることになります。その上、青山さんは古巣の共同通信の退職金を選挙資金とし、1円の献金も受け取らず、支持団体もない中で選挙に臨むとしています。

▼青山さんが公人となろうとしている今、いよいよ、我々国民の出番ではないでしょうか。一人ひとりが目を覚まし、立ち上がり、本当の政治家を選ぶ時ではないでしょうか。

 青山さんは、自民党の全国比例から出馬します。しかし、自民党のために政治家になるのではありません。志を貫き、自民党をはじめとする日本の政治を変えるために身を投じようとしています。みなさん、今度の選挙の比例の投票用紙には「自民党」ではなく「青山繁晴」と書きませんか。

AKB48総選挙に思う、「結果至上主義」の功罪

▼そう言えば今日は、AKB48総選挙の日だったのですね。毎年、当日になって気づくような感じなのですが、結構な盛り上がりぶりについ、誰が何位なのかな?と注目してしまいます。とは言え、最近はもう上位の顔ぶれもほとんど知らない人ばかりになってしまいましたが。

▼いろいろと批判の声も多々ありますが、やり方はどうあれ「売上げ」というアーティストの重要な評価基準となる指標で爆発的な数字を叩き出し、数々の記録を塗りかえて日本の音楽(J-POP)史に残るグループになるという「結果を出した」事実は、私は素直に、是々非々で評価したいと思います。

 48人もの少女をアイドルグループとして打ち出すという発想は、もしかしたら世界で初めてだったのではないでしょうか。「会いに行けるアイドル」をコンセプトに劇場型の演出をしたり、選挙制度を導入したりという数々の斬新な発想に、これまでアイドルに興味がなかった人までが取り込まれ、熱狂するまでになりました。今になってみればなるほどうまくやったもんだと思いますが、「誰もやらなかったことを初めてやった」ことの意義、功績は、評価されて然るべきだと思います。今やどこかのお国も、例によって同じ手法を真似ているとか、いないとか。

 「オタクの下心を刺激するアイドルに過ぎず、音楽は評価できない」という声が聞かれますが、大多数の心を捉えるメロディは魅力的で、私は素直に、単純に楽しめています。

 「結果を出す」ということが、どれほど大変なことか。私の周囲にライブに行った人がいたのですが、「ライブに行くと見方が断然変わる」とのことです。すぐ目の前で、少女たちが歌って踊る躍動感、迫力というのは相当なものらしく。私を含め外野からはどうとでも言えますが、実際に努力して、貪欲に結果を追い求めて夢を実現する姿からは、私も見習わなければならないと感じる次第です。

▼一方で「投票目当てでCDを買わせるのは卑怯で、記録に値しない」という批判に、共感できる部分もあります。

 また「少女を商売道具にしている」という批判については、真剣に考えなければならない問題です。まだ幼さの残る少女たちが、大人の都合で醜い欲望に翻弄され、酷使され、心身ともに押し潰されて涙を流す。その涙までが映画でドラマティックに扱われ、ここまでやらせるのはおかしいのではないか、という疑問が拭えません。本人たちが覚悟して入ったのだとはいえ、10代の少女にはあまりにも重圧が大きすぎる。握手会などでファンとの間の緊密化が行き過ぎた結果、昨年はメンバーがのこぎりで襲撃されるという、あってはならない事件まで発生しました。運営する側も、消費者側も、少女たちを守る大人としての責任が問われます。

▼それにしても、AKBの総選挙は「ああ、今年もこの季節が来たか」となんだか風物詩のようにもなってきましたね。少女たちの「紛れもない本気」は、いつになっても、やはり多くの人の目を惹き付けてやまないものなのだと思います。どんな結果であれ、少女たち一人一人が幸せなアイドル人生を送れることを願いながら、私も遠巻きに眺めて楽しみたいと思います。

中国の領海侵入を報じないマスコミと、それに洗脳された人々に、国を愛する心はあるか

▼中国の領海侵入に怒りの声を上げてはみたものの、世間は拍子抜けしてしまうほど静かですね〜(笑)

 自分でも「これは戦争事態です(キリッ」なんて言って、むなしく響く感じがなんとも、疎外感すら覚える次第。テレビのニュースはもはや報道というより「煽動・誘導」でしかないので見ていないのですが、夜のトップニュースはどこも舛添都知事だったようで、中国領海侵入の件はろくに報じられなかったようです。yahooトップ画面のニューストピックでも、上の方は舛添都知事関連で、それに続いてカエルの一種 特異な交尾姿勢なんて見出しが踊っていました。そんなことより、中国の領海侵入に警鐘を鳴らす大ベストセラー、『百田尚樹/著 カエルの楽園』を取り上げろと。

▼発売から4ヶ月になろうとしていますが、この投稿を書いている今でもアマゾンの全書籍ランキングの4位に輝いており、膨大な数のレビューで絶賛されているにもかかわらず、いまだに各テレビ局、大手新聞で完全黙殺されているという異常事態。もはや日本のマスコミは、事実を公平に伝えるという報道機関としての機能も誇りも失い、腐りきっていることがよくわかります。

▼なんだか、領海のみならず、我が国の海に対する領有意識すら浸食されてきている感があります。例えばこれが自分の家の庭だったら、誰しも警戒し、臨戦態勢に入るはずなんですよね。それが自分の国の海になると、まるで当事者意識が薄れてしまう。今、世界は、国境(文化的・社会的・経済的な垣根)をなくそうという「グローバル化」の思想が凄まじい勢いで拡大しています。同時に、多くの国がその思想の限界に直面し、取り返しのつかない状況に陥り、もがき苦しむ姿を露呈しはじめています。日本人ひとりひとりが、日本という国のあり方について、テレビ・新聞による洗脳から脱却して、自分の頭で考えるということをしないと、いずれグローバル化の波に飲み込まれてしまうでしょう。

▼あーあ、なんだか私も、熱弁していてそこはかとなく徒労感が。人生短いんだし、目の前の生活を充実させて、目の前の楽しいことをぱーっとやらないと後悔するぞ? なーんて心の声が聞こえてくるのですが、それができない自分の面倒な性格が恨めしい(笑)

▼でもやっぱり、私は日本という国が本当に好きなので。他国のことを知れば知るほど、日本に生まれたことを心の底から幸せに思います。これはこの上なくありがたいことです。自分の家族を、大切な女性を、故郷を愛するように、国を愛さないと絶対に後悔すると思います。これは当たり前のことで、すべての小学生が学ぶべきことだと思うのですが、今の日本ではどこか曖昧に、疎かになってしまっている。「国を愛しています」と堂々と言うことが、どこか気恥ずかしかったり、物珍しかったり、あるいは危険な雰囲気が漂ったりもする。

 あの戦争のことが、今も多くの日本人の心に影を落としているのでしょうが、私はインターネットなどでいろいろと勉強していくうちに、どうやら「日本は悪だった」という思い込みは間違っていたらしいということがわかってきました。

 私もまだまだ、怠惰な日常の合間を縫って、勉強を始めたばかりです。外国人から、日本とはどんな国か? と聞かれて、ちゃんと説明できる自信がありません。この歳になって遅ればせながら、これから日本という国をもっともっと知りたい、もっともっと好きになりたいと思います。

中国軍艦が日本の領海に侵入。今、怒らずしていつ怒るのか。

▼勤務の昼休み中でありながら、いてもたってもいられずに投稿しています。

▼中国は、越えてはならない一線を越えました。これは戦争事態です。

 傍若無人、無礼千万、断じて許されない振る舞いに、言いようのない怒りを覚えます。同時に、今に至るまで憲法9条に縛られ、戦後GHQの洗脳が解かれないままの日本が、とうとうこの日を迎えてしまったという失望感を覚えます。いずれこうなることはわかりきっていたことです。

▼先日、接続水域への侵入があった日、日本人の多くは、海老蔵さんの麻央夫人のニュースの方に心を痛めていました。私もあの夫妻のことは応援していますし、大事なニュースだとは思います。しかし、中国の許されざる行為の扱いがあまりにも小さい。そのうち、SMAPの解散にでも重ねて領海に侵入してくるのではないかと本気で心配していましたが、まさか舛添都知事の辞任に重ねてくるとは。

▼このままだと領海侵入も常態化して、次は尖閣諸島。いずれは沖縄です。日本は、憲法9条の「教え」に従うならば、追い払うこともできず、ひたすら対話を重ねていくことしかできない訳です。

▼まさか今日も、舛添さんのニュースでかき消されてしまうんでしょうか。

 怒らねば。いま国民は、怒らねばなりません。

「オネエ系」タレントが次々と注目を集めていることから、私がブログで「普通」のことを「普通」に書く理由を考えてみた

▼6月、梅雨の季節に入り気分を変えて、トップの背景色を紫陽花を思わせる? 淡い紫にしてみました。今後も四季の移ろいに合わせて色を変えるという、地味ブログならではの小細工でささやかに季節感を楽しもうかと。

▼さて、先日、電車の中の広告で、マツコデラックスの顔写真がデカデカと存在感を放っているのを目にしました。最近、本当によく見かけますねー。テレビに疎い私でも、しょっちゅう出てきて脚光を浴びているのは知っています。

▼もっと言えば、昨今「オネエ系」芸能人が次々と登場してきていて、話題に取り上げられるようになっていることに気づきます。ぱっと思いつくだけでも、尾木ママこと尾木直樹さん、IKKO、KABAちゃん楽しんごはるな愛…テレビを見ている方は他にもたくさんの名前が挙がるでしょう。もう既に昔からお馴染みになっていて、オネエであることを忘れてしまいそうな有名人も多く、幅広い分野で活躍しています。

性同一性障害という病気で苦しむ人もいることから、そういった社会的少数派の存在が認められ、堂々と活躍できるのは好ましいことであると思います。ただ一方で、最近あまりにももてはやされすぎではないかという疑問があります。出演状況に不自然さを覚え、オネエ系を積極的に起用したいというテレビ局の意向を感じずにいられないのです。

▼なぜ、オネエ系がテレビを賑わせているのか?

 理由は様々あるかと思うのですが、結局のところ私が考えるのは「型破りはウケがいい」ということなのだと思います。もちろん、その人自身の魅力によるところもあるでしょう。その上で、既存の常識、慣例、風潮、制度…そういった、長い時間をかけて社会で形成されてきた言わば「保守」的な文化(今回の例で言えば、男は男らしく、女は女らしくあるという文化)を打ち破り「革新」をもたらすところが、人々にとっては物珍しく、愉快であり「面白い」ということになるのでしょう。

▼ちなみに日常においては、人々の注目を集める上で面白いという要素は最重要と言っても過言ではないかもしれません。安倍総理大臣のニュースよりも、アイドルや歌手、芸能人のニュースに興味をもつ人の方が圧倒的に多いことからも明らかでしょう。ニコニコ動画のアクセス数を見ても「面白い」動画が爆発的なアクセスを集めているのは一目瞭然です。

▼受け手である我々は、提供されるコンテンツを自由に楽しむのはもちろん大いに結構なのですが、その一方で常に「現実的な視点」を持ち合わせていなければならないと思うのです。健全な社会を「保守」するための視点を。

▼私はまさか、オネエ系タレントの存在を否定するつもりなどは毛頭ありません。ただこの件で私の頭をよぎったのは、昨年渋谷区で同性カップルを結婚に相当する関係と認める条例が可決されたニュースです。社会的少数派の権利も公平に認めることは大切です。ただし私は、同性愛者は少数派のままであることが望ましいと思っています。同性愛者が増加した先に、子孫の存続はないのですから。社会を維持するためには、男性は男性として、女性は女性としての生殖機能が果たされることが基本となるべきだと思います。

 「冷徹すぎる」「神経質すぎる」「もっと寛容に考えるべき」といった意見もあるかと思いますが、果たしてそうでしょうか。私は、同性愛者を安易に必要以上に優遇してしまう気運になると、今後どんどん同性愛者、あるいはそれに近い傾向を持つ人が増加して、社会で相当な割合を占める日が来ても不思議ではないと思います。それほどの意識をもって慎重に考えるべき問題であると思います。

▼どうも最近のテレビは、オネエ系タレントをオネエ系であるが故に、ことさらにもてはやしたり、優遇したりしているように見受けられ、それは好ましくないと思うのです。かといって、当然冷遇するべきとも思わない。その人そのものをありのままに見て評価する姿勢が大切なのではないかと思います。

▼ちなみに、これまでの自分の文章を読み返してみると、自分が「普通」だと思うことを「普通」に書いており、保守的であり、面白味に欠けている感が否めないなーとつくづく思います。でも別に、自虐的になっているのではないし、そもそも面白い文章を書こうとしているわけでもありません。ただ今は、読者の存在をモチベーションに、自分の思考を忠実に文章化したくて書いている。面白い文章を書くよりも、まずはそれができるようになることを先にしたいと思うのです。

 私も少数派を承知で自分なりに思う保守を貫くのもいいし、あるいは、いずれは面白さも両立できるようになれたらいいかなーとも思っています。

▼内実を疎かにして、人からの支持ばかりを先に追い求めていくとどんな結末に行き着くか。

 舛添都知事のようになるわけですね。

 あのような悲劇を生んでしまうことのないよう、常に己を省み、人を見極めたいものです。