かずのひとりごと

日本について、世の中について、私の生き方について、考えたことを書きます。

ブログを書いて、ふと、己の言葉の非力を思う。

▼青山さんの投稿をした直後から、驚くほどたくさんのアクセスがあり、今まで書いてきた記事が吹き飛んでしまったかのようだ。自分はこの投稿をするためにブログを続けてきたのではないか? そんな気すらした。

▼素直に嬉しかったのだが、一方でふと、己の言葉の非力を思った。いったい私の文章は、アクセスしてくださった人の心をどれだけ動かすことができたのだろう?

 多くの人の心を、少しだけ動かせただろうか。

 それとも一人であっても、意味のある何かを与えることができただろうか。

 インターネットの向こう側の人たちの心の中は、わかりようがない。相手と顔を合わせて、目を見て言葉を交わして初めて、わかるかもしれないというぐらいなのだから。

▼それにアクセスが集まったとは言っても、所詮、日本の有権者の数を考えればほんのわずかな、微々たる数でしかない。湖に向かって小石を投げた程度の波しか起こしていない。今の私では、尊敬する人の力になりたくて言葉を尽くしても、この程度なのだ。

▼実生活においてすら、私の吐く言葉はどれだけ相手に伝わっているか。そもそも私は、どれだけ伝えようとしているだろうか。

 話すことができない自分を、嘆くばかり。

 このままではいけない。何かが足りない。

 人の心に届く言葉を探し続けたい。

比例代表で誰に投票すればいいかわからないという人へ。青山繁晴さんと一緒に日本を考えませんか。

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▼私は小さい頃、親から「政治家にだけはなるな」と言われました。理由は、みなさんの想像とほとんど相違ないことでしょう。だってニュースを見ていて、政治って、政治家って、嫌なものだなあと感じるのが普通ですものね。

 そして「世の中にはいろんな考えの人がいるから、政治に関わる話はなるべくしないように」とも教わりました。

 私はそれを聞いた時、親が真剣に自分のことを思って言ってくれているのを感じていました。一人ひとりがそれぞれの立場で胸に秘めている、大事な、デリケートな問題。それを日常の会話に持ち出したら、微妙な空気になるだろうなとは想像できていました。

▼しかし、どうも釈然としない感じが胸に残ったのでした。

 確かに、尊敬する親がそう言ってくれるのだから、その通りなんだろう。それが大人の世界の現実なのだろう。でも本当にそうだとして、みんながあきらめたら、政治は悪いものになっていく一方じゃないか。誰か、我慢して、政治を良いものにしようとする人がいないと。普通の一般の人は、そういう人が現れた時、ちゃんと選んで応援しようという気持ちがないといけないんじゃないか。

▼親がいない時、テレビで国会中継をやっていると、興味津々に見入っていました。もちろん内容はほとんどわかりません。でも、一体どうしていつも、対立して言い争いになってしまっているのだろう。時間をかけて一つ一つ突き詰めていけば、答えに辿り着けそうなものなのに、いつまでたっても理解し合えない。見ていて、それが本当に不思議で、もどかしくも感じていました。

▼実はその疑問は、大人になってからもなかなか晴れませんでした。

 「正しいこと」とは何なのだろう。

 本当に正しいことを言っているのは誰なんだろう。

 いろんな本を読んだりして、考えて、考えて、考えました。

 そしてそんな時に、インターネットで青山さんと出会いました。

▼私は今も、考えています。

 ただ、一つだけ確かだと思うのは、青山さんがいつもいつもみんなに向かって呼びかけている、この合言葉。

 「一緒に考えましょう」

 世の中には、いろんな考え、いろんな立場の人がいます。

 みんな違って、いろんな意見があっていい。だから、時には対立するのも当然なのです。

 ただ、「一緒に日本を考える」ということなら、日本人同士として、最後は同じ方向にむかえるはずではないでしょうか。

 

 「ぼくらの日本をひとつに」

 青山さんは、いま国難であるとしっかり捉え直すことが、再出発ではないかと呼びかけています。

 ずっとずっと分断し、対立してばかりだった日本の政治を、ひとつにしようとしています。

 その「ひとつ」の意味は、みんなが同じ意見をもつという意味ではないのです。 

▼私たちと一緒にこの国土に住んでいた日本人が…お父さんお母さんと一緒に暮らしていた女の子が、すぐ近くの北朝鮮にさらわれてしまった。それなのに、国としてずっと手をこまねいていることしかできない。

 北方領土も、竹島も、小笠原諸島も、尖閣諸島も、国として抵抗できずに、いつの間にか侵されてしまっている。

 こんな「国」のままでいるのは、やっぱりおかしいんじゃないか。

 それにとどまらない。今、ありとあらゆる問題が議論される中で、何のための政治なのかが忘れられてしまっている。

 みんなの共通の土台が、共通の軸が見失われてしまっている。

▼私の言うことを信じてくださいとは言いません。

 青山繁晴さんと一緒に、みんなで日本を考えませんか。

 お互いに一致する部分を認め合い、広げていける政治を作りませんか。

【急告】真の国士、青山繁晴さんが参議院選挙に出馬! 今こそ、私たち国民一人ひとりが立ち上がる時

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▼上記リンク先で、青山繁晴さんの重大な決意とメッセージが表明されています。どうかご覧下さい。

▼一報を聞いた時、私は心の底から驚くと同時に、何とも切ない、いたたまれない気持ちになりました。

▼私は大学時代、自分の人生とは何なのか、その答えがわからず、悩みに悩み抜きました。

 親から離れて、初めての一人暮らし。幸いなことに、生活していくのには十分な仕送りをもらっていました。親に感謝し、節約をしながらではありましたが、完全に自由な身となり、好きな時に好きなことをできる学生生活を満喫していました。

 ところが、1年目の教養課程を修了し、2年目の専門課程に入った時、勉強がまったく面白くなくなっていました。ただ単位をとって、卒業して、将来職につくためだけの勉強。自分が本当にやりたいことはこれなのか? 自分は本当にこの仕事につくのか?

 何の束縛もなく、美味しいものを食べて、遊んで、寝る。それだけの生活では、むなしくなる。憧れの女性を、そして家族を守り、幸せにできるような人間になりたい。そのためには、世のため人のためになる人間になりたいと考えていました。

 ところが、正しいことが正しいと認められず、偽善ばかりがもてはやされる世の中。自分が思う正義・真実を追求しようとすればするほど、孤独になり、息苦しくなってくる。その現実に絶望し、部活もやめ、学校を休んで引きこもるようになりました。

▼留年の末、耐え難い苦痛に耐えながら学校に身体を運び、間一髪で一つ一つ単位をとり、命からがらのような思いで進級していくような学生生活でした。劣等感の塊となり、周囲の人と関わるのが嫌になり、授業が終われば自宅に逃げ帰り、インターネットの世界に没頭していました。どこへ向かえばいいのかわからないままで、孤独だった自分を救ってくれたのが、青山繁晴さんでした。

 他の追随を許さない、最前線の貴重な情報発信。類例のないほどの膨大な知識と、どこまでも深遠なる思考。どんなに理不尽な、過酷な状況にも屈することなく、終始一貫して国を思い、全身全霊で奮闘を続ける姿…。

 心から尊敬し、感銘を受けながら、生きる勇気と希望をいただいています。そして「一緒に考えましょう」の呼びかけに従って、今に至るまで、インターネットでの番組を通して、未熟な私なりに一緒に考えることを続けています。もはや、感謝の言葉しかありません。

▼青山さんは常日頃から、政治家にはならないとの意思を鮮明にされていました。自分を売り込むことはしたくない。どんな組織にも属さず、完全に自由で公平な立場から貢献するという信念から、民間シンクタンク独立総合研究所を設立し、社長として国のために粉骨砕身の尽力をされてきました。その青山さんが、社長を辞してまで、「自分の人生を壊す」と公言してまで、全てを投げうって政治家に転身するというのです。筆舌に尽くし難い、重大な決意と覚悟を感じずにいられません。

 青山さんは、いま国難であると言います。みんなが、いまを国難としっかり捉え直すことが再出発ではないかと呼びかけています。

 いまの日本を変えるためには、自らの人生を壊さざるを得ないと考えたと言います。私は一人の国民として、その決断を断固支持・応援すると同時に、尊敬する人がこれほどまでに追い込まれてしまったことを苦しく、やるせなく思います。そして、日本の現状を憂い、嘆かずにいられません。

▼今回の立候補にあたっては、安倍総理大臣から直接、電話での打診があり、重く受け止めたといいます。私は、これほど国政に身を捧げる覚悟をもった、選ばれるにふさわしい候補者は他にいないと考えます。

 ところが、現時点でこの重大ニュースを報じているのは、相変わらずなことに、ごく一部のメディアにとどまっています。元芸能人や元スポーツ選手の立候補は噂だけでも大々的に取り上げられるというのに。もういい加減、我々国民は目を覚まさなければなりません。メディアに踊らされて、知名度で舛添都知事が生まれてしまうような世の中は終わりにしなければなりません。

▼選挙公示期間中は、ただでさえメディアから敬遠されている状況の中で、レギュラーの番組参加もなくなることになります。その上、青山さんは古巣の共同通信の退職金を選挙資金とし、1円の献金も受け取らず、支持団体もない中で選挙に臨むとしています。

▼青山さんが公人となろうとしている今、いよいよ、我々国民の出番ではないでしょうか。一人ひとりが目を覚まし、立ち上がり、本当の政治家を選ぶ時ではないでしょうか。

 青山さんは、自民党の全国比例から出馬します。しかし、自民党のために政治家になるのではありません。志を貫き、自民党をはじめとする日本の政治を変えるために身を投じようとしています。みなさん、今度の選挙の比例の投票用紙には「自民党」ではなく「青山繁晴」と書きませんか。

AKB48総選挙に思う、「結果至上主義」の功罪

▼そう言えば今日は、AKB48総選挙の日だったのですね。毎年、当日になって気づくような感じなのですが、結構な盛り上がりぶりについ、誰が何位なのかな?と注目してしまいます。とは言え、最近はもう上位の顔ぶれもほとんど知らない人ばかりになってしまいましたが。

▼いろいろと批判の声も多々ありますが、やり方はどうあれ「売上げ」というアーティストの重要な評価基準となる指標で爆発的な数字を叩き出し、数々の記録を塗りかえて日本の音楽(J-POP)史に残るグループになるという「結果を出した」事実は、私は素直に、是々非々で評価したいと思います。

 48人もの少女をアイドルグループとして打ち出すという発想は、もしかしたら世界で初めてだったのではないでしょうか。「会いに行けるアイドル」をコンセプトに劇場型の演出をしたり、選挙制度を導入したりという数々の斬新な発想に、これまでアイドルに興味がなかった人までが取り込まれ、熱狂するまでになりました。今になってみればなるほどうまくやったもんだと思いますが、「誰もやらなかったことを初めてやった」ことの意義、功績は、評価されて然るべきだと思います。今やどこかのお国も、例によって同じ手法を真似ているとか、いないとか。

 「オタクの下心を刺激するアイドルに過ぎず、音楽は評価できない」という声が聞かれますが、大多数の心を捉えるメロディは魅力的で、私は素直に、単純に楽しめています。

 「結果を出す」ということが、どれほど大変なことか。私の周囲にライブに行った人がいたのですが、「ライブに行くと見方が断然変わる」とのことです。すぐ目の前で、少女たちが歌って踊る躍動感、迫力というのは相当なものらしく。私を含め外野からはどうとでも言えますが、実際に努力して、貪欲に結果を追い求めて夢を実現する姿からは、私も見習わなければならないと感じる次第です。

▼一方で「投票目当てでCDを買わせるのは卑怯で、記録に値しない」という批判に、共感できる部分もあります。

 また「少女を商売道具にしている」という批判については、真剣に考えなければならない問題です。まだ幼さの残る少女たちが、大人の都合で醜い欲望に翻弄され、酷使され、心身ともに押し潰されて涙を流す。その涙までが映画でドラマティックに扱われ、ここまでやらせるのはおかしいのではないか、という疑問が拭えません。本人たちが覚悟して入ったのだとはいえ、10代の少女にはあまりにも重圧が大きすぎる。握手会などでファンとの間の緊密化が行き過ぎた結果、昨年はメンバーがのこぎりで襲撃されるという、あってはならない事件まで発生しました。運営する側も、消費者側も、少女たちを守る大人としての責任が問われます。

▼それにしても、AKBの総選挙は「ああ、今年もこの季節が来たか」となんだか風物詩のようにもなってきましたね。少女たちの「紛れもない本気」は、いつになっても、やはり多くの人の目を惹き付けてやまないものなのだと思います。どんな結果であれ、少女たち一人一人が幸せなアイドル人生を送れることを願いながら、私も遠巻きに眺めて楽しみたいと思います。

中国の領海侵入を報じないマスコミと、それに洗脳された人々に、国を愛する心はあるか

▼中国の領海侵入に怒りの声を上げてはみたものの、世間は拍子抜けしてしまうほど静かですね〜(笑)

 自分でも「これは戦争事態です(キリッ」なんて言って、むなしく響く感じがなんとも、疎外感すら覚える次第。テレビのニュースはもはや報道というより「煽動・誘導」でしかないので見ていないのですが、夜のトップニュースはどこも舛添都知事だったようで、中国領海侵入の件はろくに報じられなかったようです。yahooトップ画面のニューストピックでも、上の方は舛添都知事関連で、それに続いてカエルの一種 特異な交尾姿勢なんて見出しが踊っていました。そんなことより、中国の領海侵入に警鐘を鳴らす大ベストセラー、『百田尚樹/著 カエルの楽園』を取り上げろと。

▼発売から4ヶ月になろうとしていますが、この投稿を書いている今でもアマゾンの全書籍ランキングの4位に輝いており、膨大な数のレビューで絶賛されているにもかかわらず、いまだに各テレビ局、大手新聞で完全黙殺されているという異常事態。もはや日本のマスコミは、事実を公平に伝えるという報道機関としての機能も誇りも失い、腐りきっていることがよくわかります。

▼なんだか、領海のみならず、我が国の海に対する領有意識すら浸食されてきている感があります。例えばこれが自分の家の庭だったら、誰しも警戒し、臨戦態勢に入るはずなんですよね。それが自分の国の海になると、まるで当事者意識が薄れてしまう。今、世界は、国境(文化的・社会的・経済的な垣根)をなくそうという「グローバル化」の思想が凄まじい勢いで拡大しています。同時に、多くの国がその思想の限界に直面し、取り返しのつかない状況に陥り、もがき苦しむ姿を露呈しはじめています。日本人ひとりひとりが、日本という国のあり方について、テレビ・新聞による洗脳から脱却して、自分の頭で考えるということをしないと、いずれグローバル化の波に飲み込まれてしまうでしょう。

▼あーあ、なんだか私も、熱弁していてそこはかとなく徒労感が。人生短いんだし、目の前の生活を充実させて、目の前の楽しいことをぱーっとやらないと後悔するぞ? なーんて心の声が聞こえてくるのですが、それができない自分の面倒な性格が恨めしい(笑)

▼でもやっぱり、私は日本という国が本当に好きなので。他国のことを知れば知るほど、日本に生まれたことを心の底から幸せに思います。これはこの上なくありがたいことです。自分の家族を、大切な女性を、故郷を愛するように、国を愛さないと絶対に後悔すると思います。これは当たり前のことで、すべての小学生が学ぶべきことだと思うのですが、今の日本ではどこか曖昧に、疎かになってしまっている。「国を愛しています」と堂々と言うことが、どこか気恥ずかしかったり、物珍しかったり、あるいは危険な雰囲気が漂ったりもする。

 あの戦争のことが、今も多くの日本人の心に影を落としているのでしょうが、私はインターネットなどでいろいろと勉強していくうちに、どうやら「日本は悪だった」という思い込みは間違っていたらしいということがわかってきました。

 私もまだまだ、怠惰な日常の合間を縫って、勉強を始めたばかりです。外国人から、日本とはどんな国か? と聞かれて、ちゃんと説明できる自信がありません。この歳になって遅ればせながら、これから日本という国をもっともっと知りたい、もっともっと好きになりたいと思います。